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「旅のはじまり」

高校1年生になった長男が、小学3年のころに、

「ぐるっと一周してくる」

と言って自転車に乗って何処かへ行ってしまう。まだ遠くへは行っていなかったようだが、自分ひとりで出かけて何かを感じてくれているだろうと思う。
 僕が同じ年頃に同じことをしていた。ちょうど小学3年生の誕生日に自転車を買ってもった。
(四十年も前のことである、まだクラスのみんなが持ってはいなかったように思う)

 夜になると家の中にしまいこみ、大事にしていた。いや大事にされていたのだ親父に、自転車が。その当時でもまだまだ、高価なものだったと思う。

 毎日のようにあちらこちらへ出かけて行った。親と一緒にバスや電車でしか行ったことのない所まで、かすかな記憶を辿って、道に迷いながら、覚えのある景色に出会えて感動していた。覚えのある景色の向こうにも道は続いていたから、次回にはその先にも行ってみた。今度はまったく未知の世界に入って行くわけだ。見たことのない風景の中をどこまでも前に進み、自分なりではあるが、新たな発見をして、また感動していつのまにか見覚えのある風景に出会って
「ここにつながっているのか」と、またまた感動していた小学生である。

 今思い出せば、さほど遠いところへ行ったわけではないのだけれど、小学生だった僕は知らない未知の風景に出会えることが、とにかく楽しくてしょうがなかった。

「こないだは右の道に行ったから、今日は左へ」
と、すごいスピードで行動範囲が拡がた。6年生ぐらいになると、日曜日にはおにぎりを作ってもらい、親父の地図を借りて、朝から出かけていった。僕しか知らない近道を(その頃はそう思っていた)見つけたり、素晴らしい風景を見つけて、自分で勝手に名前をつけたりして楽しんでいた。これが東北の雪深い田舎までの「旅のはじまり」である。

 近ごろは、子供がまきこまれる事件が多発していて、子供だけで何処かに行ったり、留守番させたりすることが不安なご時世だけれど、感性の豊かな今の年ごろに、自らの意志で、自らの足で、目で、耳で、また鼻で感じてほしい、自分なりに新しい発見、発掘をして、多くの感動を味わい、豊かな感性を養ってくれることを願う。

「ものより、思い出」 CMの受け売りですんません。



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2008.05.07 / Top↑
 「旅のはじまり 2」

 中学生になると、十段変速のサイクリング車を持っている友達との出会からますますエスカレートしていった。
 こずかいを貯めて五段変速ではあるがサイクリング車を買った。
(その当時はセミドロップと言って、ママチャリのハドルを上下反対にしたような形で、少し前傾姿勢で乗った。)
 しかし、すぐに中古のドロップハンドルに変えた。
(競輪選手が乗るような、かなり前傾姿勢になる自転車だ)

 これも十段変則のサイクリング車を持つ友人の影響やね。
 土曜日には半日で学校が終わり、午後からは地図を広げて明日はどこへ行こうかと、二人で思案していた。市内にとどまらず隣の市や町にも出かけていった。十段変速の友達といつも一緒だ。今のこの地のように冬に雪が積もることなどほとんど無かったから、冬もその当時の最大限の防寒をして、走っていた。あまり遠くへは行けないけれど。

 日曜日、おにぎりとお茶の入った水筒と、そして地図を持って、目的地目指して自転車を漕いだ。
 昔、都があった街は南を除く三方が山に囲まれているから、南方面以外の隣町へ行くときは必ず峠道があった。
 山道は厳しかった。まず五段変則の僕が音を上げて、自転車を押しながら歩く。さすがに十段変則。僕よりは長く自転車を漕いで坂道を登っていったが、まもなく、自転車から降りて二人仲良く押しながら歩いて進む。
 その横をバイク、車が走り抜けて行く。
「がんばれよー」
と時々声を掛けてくれるドライバーもいたけれど、愛想笑いをわずかに返すのが精一杯だった。
 
 峠付近の見晴らしの良いところで、にぎり飯をほおばれば、この世で一番の美味しいものを食べた気になる。

『空腹こそ最大の調味料』

とは良く言ったものだ。
 峠を越えれば後は下るだけ。この快感がまたすばらしい。先ほどまでの苦労が全て飛んでいく。最高に気持ちよい。
 ただ、この先にはまだ二箇所の峠が待ち受けている。もう二回の苦労を重ねて最後には長い下り道が待っている。
 車では、なかなか味わえない快感であった。
 今、この年になってからでは、なかなか味わえないよね、というより、その苦労を体が受け付けなくなっているのだから、しかたないわなぁ。




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2008.05.08 / Top↑
「旅のはじまり 3」

テレビのバラエティー番組で「はじめてのおつかい」というのがある。小さな子供たちが初めてお使いをしてくる様子を、カメラがこっそりと映して、番組のゲストと一緒にハラハラ、ドキドキして我子のことのように、驚き、肝を冷やし、感心するというものだ。

 人間は小学校を入る前から、様々な初めてを経験、体験しておおきく成長して行く。個々にそれぞれの初めてがある。

小学校六年生の春休み(正確には六年生になる前の春休み)に親父の実家である祖母の家へ、一人で行った。初めて一人で出かけた。駅までは送ってもらい、向うの駅までは迎えに来て貰ったが列車の中は一人である。山陰の小さな漁師町の小さな駅まで、ドン行(普通列車)にゆられて六時間、小さな駅までのはじめての一人旅となった。
小さい頃から何回もドン行にゆられて、祖母の家まで行っているうちに、『ガタンゴトン・ガタンゴトン・・・』とゆられて行くドン行列車は、僕には心地の良い大好きな空間となった。
だまって外の景色を見て、時々虫のなく声しか聞こえないような静かな駅に止まると、反対方向からけたたましい音とともに通り過ぎる特急列車を楽しむ。通り過ぎた後には何もなかったように虫が静かに鳴いていた。

『ガタンゴトン・・・』

を聞いているだけで、あとは何もいらなかった。

df50

 今でもあの『ガタンゴトン・・・』を聞くと心が休まる。
(今の電車達の『ガタンゴトン』は速すぎてダメだ)
 その頃のドン行は、先頭のディーゼル機関車や蒸気機関車が、ぶどう色の煤(すす)汚れした客車を引っ張って走るものだった。
 『ピィーー』と発車の汽笛が鳴り、少し間があってから『ガッタンゴゴットンガン』とゆっくりと動き出す。最後のガンは座席の木の背もたれに頭をぶつける音である。運転の上手な運転手は最後の『ガン』はほとんどなく静かに動き出す、しかし、そうでない運転手は『ガン』とおもいっきり頭をぶつける。子供の僕にはドン行が発車する時に起こる『ガン』の振動には到底勝ち目はなく、不意に襲ってくる動きにそのまま体を預けるしか術(すべ)がない。木の背もたれにかなり強く頭をぶつけてしまう。
 しかし、今の電車はとても静かに大きな振動も、音も、頭を『ガン』と打つこともなく『スー』と発車してしまう、あの『ガン』がとても懐かしい。

客車


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2008.05.10 / Top↑
「旅のはじまり3-2」

 ゆっくりと「ガタンゴトン」と動き出し、少しずつスピードが上がってくる。やがて

「ガタンガガタガタゴトン」

と複雑な音が鳴り響いてくる、ポイントの上を通過しているのだ。より複雑に長く響いてくる時は大きな駅を出て行くとき、小さな駅ではすぐに普通の「ガタンゴトン」に変わっていく。

 その当時の客車は乗降のためのドアを手動で開け閉めするもので、ドアが開いたまま動いていることはよくあった。そのデッキからもう一つのドアをあけて客室に入って行く。
 乗降用のドアを開けたままでこのデッキに立ち、ドアの横にある手すりにつかまり、体中に風を感じながら流れて行く景色を見ているのは、、満足感と充実感そしてなんとも心地の良いスリルを加味して味わうことが出来る。
 特に最後尾の客車は連結部分の幌のところにドアはなく、二本のレールが、右へ左へと緩やかなカーブを描き、見る見る後方へ過ぎ去って行く。少しの弾みで外へ投げ出されてしまうかも知れないスリルを味わえる。

最後尾のホロ


 最後尾のデッキに立ちトンネルに入っていくと、入り口の明かりだけが真っ暗な世界に浮かび上がってくる。そのトンネルがまっすぐであれば、入り口の形をした明かりが黒の中に、少しずつ小さくなりながらいつまでも見えている。そしてどこまでも小さくなって明かりが見えなくなったと同時にトンネルを出る。ゆっくりと

『ガタゴゴットン』

とポイントを通る音がする。祖母の待つ小さな駅に着いたのだ。
 六時間もの長い時間、たった一人で飽きもせんと、景色と『ガタンゴトン』を聞いて楽しんでいる小学生は、今で言うところの『鉄ちゃん』なのだ。
 
 現在では国鉄がJRになり、各地に新幹線、ミニ新幹線が延伸して、地方と都市が益々近くなった。たいへん便利である。しかし、いわゆるローカル線がほとんど無くなった。いたし方ないことではある。民営化された企業としては赤字路線をいつまでも放置しておくことはできない。



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2008.05.10 / Top↑
「旅のはじまり③-3」

 新幹線が開業してからの日本の鉄道は、とにかく早く目的地に行くことが至上命令のように、線路も列車も改革されていった。電車のスピード化が進んでいる。
 しかし、なぜか今ではローカル線の郷愁を求めて地方の鉄道に人気があるようだ。鉄道ファンも増えているという。三、四十年前には存在しなかった(たぶん?)

『鉄子(女の鉄道ファン)』

も多くなっているという。
 テレビの趣味を特集した番組も、鉄道関係が一番多い。

 数年前から、各地で蒸気機関車(SL)が復活して、定期的に運行されているところが何箇所かある。定期的といっても週末や、春夏などの学校関係の休みのころといった、人々が観光として移動する時期が多いようだ。

SL


 四十年来の鉄道ファンとしては、「SL」の走る姿が見られるのは、とてもうれしいことではある。
 昭和三十九年に新幹線が東京、大阪間で開通した。そのころからだろうか、いわゆる時代の波にのまれるかのように、都市に近いところから「SL」は廃止されていった。
 関西でも昭和四十七年に山陰本線から姿を消した。

 煙害や維持費の問題。経済が発展するとともに、速さ、快適さを求める国の政策として「SL」が各地から姿を消し、採算の取れないローカル線は廃止されていった。一部は第三セクターとして経営存続されたが、長続きしなかったところも多いようだ。
 輪廻転生と言えば少し大袈裟な話になるが、戦中、戦後の遺物のような扱いを受けてきた「SL」が、二十一世紀のいまでは地方観光の目玉的存在として、地方の経済発展に一役買っているのだ。なんとも皮肉なものではないか。
 どんなに高学歴で優秀な頭脳をお持ちの政府官僚諸氏にも、未来を予測することは叶わないのである。

 長年の鉄道ファン「鉄ちゃん」としては蒸気機関車が復活するなら、それに引っ張られる客車も当時のものを復活させてほしい。
 今の、青や赤い色の客車はあの真っ黒な蒸気機関車には似合わない。
 ぶどう色の煤けた車体、丸く黄色いぼんやりとした灯りの室内灯、手動の乗降ドア。

『ガッタンゴゴットン ガン』

発車の時に子供が『ガン』と頭を打ち付けるような木の背もたれの座席にしてもらえんやろか。

客車2





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2008.05.12 / Top↑
「旅のはじまり 4」

 小学校の3年生だったろうか、鉄道好きの友達が2人で、『鉄道クラブ』なるものを作っていた。鉄道が好きで趣味としていろんな知識を持っていた。蒸気機関車の『C57、D51(デゴイチ)』の『CとD』の意味とか、気動車(ディゼルカー)の『キハ82系(非電化区間の特急)』の『キとハ』の意味は何かなど、かなり専門的なことを彼らは知っていた。経緯は忘れたが3人目のクラブ員として入会したのだ、(登録されてしまった?)

 ノートに蒸気機関車のアルファベットの『B(動輪が2個)』から順に『E(動輪が5個)』まで書いてその横に『B20、C50、C51・・・・D51・・・・E10』と書いた。ディーゼル機関車、電気機関車、気動車、客車、貨車。
 友達のノートを丸写しに自分のノートに鉛筆で書いていった。(現存する)

 『鉄ちゃん』への道がこのとき始まったのだ。

 主な活動は近くを走る山陰本線へ蒸気機関車を見に行くこと。時刻表を見て、何時に上りの○○駅を出発する。それならば何時までにあの踏み切りへ行けば見ることができる。学校が終わって、その踏切へ行くのが日課となった。
 上り、下りの客車、貨車を何本か見ているうちに、
「次は下りの園部行き(京都府)客車が来る。今日は『C571』が来るんちゃうか」
一番詳しい『鉄ちゃん』が誇らしげに語った。すると二番目に詳しい『鉄ちゃん』が、
「ちゃうなあ、『C571』はおとといの下りに来たから、今日は、きいひんでぇ」
と切り返す。
「あっ、来た来た。『C571』やで」
と三番目に詳しい(三人しかいません)僕が覚えたての知識で、叫んだ。

 『C57』の何号機が来るかまで大体わかっているのだが、いま思えば山陰線で走っている『C57』蒸気機関車は何号機が使われているか、毎日見ていれば、だいたい覚えてくる。他の機関区への移動はあまり頻繁には無かったようだし、この周辺で汽車が走っていたのは、ここだけだった。
 蒸気機関車だけではない、ディーゼル機関車も頻繁に走っていた。むしろこちらの方が多かった。
 もちろん見ているだけでは飽き足らず、近くの駅から一駅だけ乗りにも行った。帰りはバスで帰ってくる。
 その時も、汽車が来る数十分も前から、いや何時間も前から駅に入り、来る汽車、通過する特急列車、貨車などを間近で見ては楽しんでいた。ただ見るだけ、カメラなどは小学校三年生では誰もまだ持っていない。

~つづく~



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2008.05.14 / Top↑
「旅のはじまり ④-2」

 クラブ員の重要な活動のひとつに、新聞のスクラップブックを作ることがあった。
 新聞に載っている鉄道関係の記事を切抜き、ノートに張っていくのだ。各地の路線で蒸気機関車が廃止されていく、「さよならSL」の記事、日立家電のスポンサーによる「ポンパ号」、どこかの百貨店で開催される「SL展」の広告記事、そして、毎日汽車を見に通った山陰線の「SL、さよなら運転」の記事。鋏で切った切り口も雑で、どれもが黄ばんでいるが当時のことが思い浮かんでくる。
 (全て現存)
 そのノートが小学校の「秋季大運動会」の記念品のノート。
 そして、なぜか最後のページには「山陽新幹線、岡山まで延伸」の記事だ。
 小学校三年生が少なくとも、新聞をペラペラと毎日めくり、見ていたのだという事実を今さらながら、自分自身に驚いている。いま、高校生の息子は、テレビ欄と、「こぼちゃん」しか見ない。

 とにかく、鉄道の記事なら何でも切り抜いていた。私鉄電車の脱線事故、大雪による遅れの記事、鉄道百年の特集シリーズ記事、そして廃止される汽車への異常なファンの行動を書いた記事。各地の路面電車の特集記事、廃止の記事。などなど、鉄道に関することは何でも切り抜いている。
 
 うっかりすれば見逃してしまうような、SL切手発売の小さな記事もある。小学生が新聞の隅々まで覗いて、鉄道関係の記事を探しては切り抜いていた。
 ある時、親父が見ていない新聞を先に見て、切り抜いてしまい、かなりきつく怒られたことを思い出した。あの当時はどの家庭でも、父親の権威は大きく、新聞、風呂、チャネル権は父親が一番だった。

 家には一台しかテレビが無いのが普通の家庭だった時代、我が家では八時までが子どものテレビの時間。その後は親父の時間。だから、土曜八時からの
「8時だよ全員・・」は特例だった。野球放送があるときは特例も特例にならなかった。
 一人一台のテレビを持っている今の時代、家族のコミニュケーションが希薄になっている一つの原因ではないだろうか。
「何で勝手に換えんねん」
「おにぃちゃんずるい、今度はうちが見たいの見るんや」
「うるさい、喧嘩すんにゃったら、ニュース見る」
 親父の一言で公共放送局に決まってしまった。

 「巨人、大鵬、玉子焼き」

僕よりは少し上の人たちの時代だとは思うけれど、我が家はもちろん

阪神タイガース』です。

 親父の影響をモロに受け継いでいる。



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2008.05.16 / Top↑


 僕の一人旅第二弾は中学に入ってからの秋だったと思う。父方の曽祖母の五十回忌に父の代理で山陰の漁師町、親父の実家へ行ったときだろうか。あの春休みから半年後である。親父が忙しく、日曜日と祝日の連休なので急きょ僕が行くことになり、土曜日の午後に家を出た。駅を三時過ぎの急行に乗れば、七時過ぎには海の見える駅に着く予定だ。

 駅まではバスに乗り三十分ほどで着くから、自分なりに逆算して家を出る時間を考えていた。前回の初の一人旅より少し成長したのか、余裕が出てきてゆっくりと準備をして、予定より少し遅く家を出た。
 そんな時は少しずつ次の段取りが遅れてくるもので、バス停のちかくで信号待ちをしていると、目の前を駅へ行くバスが通りすぎて行き、十分に一便ぐらいにバスが来るにもかかわらず、なぜかその時だけは二十分後に次のバスが来た。道路も混んでいて駅に着いたときが、三時過ぎの急行の発車する時間だった。

 しかし、焦らなかった。数年前に漁師町の従兄弟が、三回か四回乗り換えて気の向くまま予定も立てずに昔、都のあったこの地へ来たことを思い出し、
「何とかなるさ」
と、かなり楽天的に次のドン行にとりあえず乗った。三時四十分ごろだったろうか。この時、時刻表を確認しないでしまったのがトラブルの発端となった。

中学一年生の怖いもの知らずの向う見ず
気まぐれ旅のはじまりだ。




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2008.05.21 / Top↑


 気動車(電車のように機関車はないが、電気ではなくディーゼルで動く列車)の五両編成ぐらいだっただろうか八割ぐらいの混みぐあいだった。一駅一駅止まるごとに降りる人はいても乗ってくる人はほとんど無く、列車の乗客は減って行くばかりだった。
 十月も近い秋の夕暮れは早く訪れてくる。この列車の終着近くになると、とっぷりと日が暮れて、あたりはだいぶ暗くなった。車窓からは遠くに点在する民家の明かりがぽつぽつと見えるぐらいで、他には何も見えなくなり、車内の乗客もかなりまばらになってきた。少し心細くなって来たけれど、そこは中学生としてはヤセガマン。

 五時半ごろにこの列車の終着駅に着いた。列車は海の見える駅までの三分の一ほどのところの駅までしか行かない。とりあえず先へ進めばそのうち目的地に着くだろう、何とかなるだろうと言う気持ちだけが先行して、 
「今日中に向うに着けばエエニャから」

 小さな駅舎に駅長さんが一人だけで、他には誰も居ない小さな駅。下車した人はほとんど駅から出て行った。ホームには十人も入れば一杯になるような待合室があり、一本だけの暗い蛍光灯が点いていた。駅前にはまばらに家があるだけで、駅前商店街と言った賑やかなものは何も無かった。駅舎の反対側には山がせまり、かすかに月の出ていない暗い空と山の境が確認できた。とにかく真っ暗だ。

 駅舎に向かった最後の一人が改札口から出て行くと、切符を集めていた駅長がゆっくりと僕の方に寄ってきた。
「乗継ですか」
「はい」
「次は六時三十分まで来ないですよ。京都駅からきます」
 と言うことは慌てて乗らなくても、次の列車に乗ればよかったのだ。こんな真っ暗な田舎の駅で一時間も待たなくてはいけないのか。

『ブアーーーンー』

 乗ってきた気動車が京都駅めざして発車していった。ますます静かになった。

  つづく




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2008.05.21 / Top↑
気動車


 広さが六畳ぐらいのホーム上の待合室に、建物の端から端まで、作り付けの木のイス(縁台のようなもの)があり、蛍光灯は一本しか点いていない。駅舎にも薄暗い蛍光灯が数本点いているが、今にも切れてしまいそうなのが二本点滅している。時々,烏のような鳴き声が「バカア」と聞こえてくる。

 九月末の山里の夕暮れは、少し肌寒く風が冷たい。待合室の木戸が長年の風雨に晒されて細く薄くなって、ガラスが枠からはずれてしまいそうなぐらいに、少しの風でガタガタと音をたてて揺れている。戸の揺れる音と時々聞こえてくる烏のような鳴き声以外には何も聞こえてこない。僕一人だけがそのイスに座り、次の列車が来るのを待っていた。

 突然ガラガラと木の戸が開いた。飛び上がるような驚きを、声を出さずに身体が感じた。身体の全体が鳥肌状態に陥ってしまった。
 なぜか、上半身が起立状態で、両方のこぶしを硬く強く握り締めて、それぞれひざの上にきちっと置いたまま。顔は、何も見えない窓の外の一点を見つめるように、真正面を向いて、目だけは入り口の方向へゆっくりと動いていった。

 横目つかいの視線に入ってきたのは、大きな荷物を担いで髭を伸ばし、薄汚れた服を着た大きな人が、入り口の木戸を前屈みになって入ってくるのが見えた。
 山からいま帰って来ました、といった風の大柄なその男の人は、木の戸を閉めながらチューリップハットを片手に持って頭から脱いだ。チューリップハットを被っている時はきづかなかったが、髪も不精に肩まで伸び放題だ。前髪も伸び放題でその隙間から顔がのぞいていた。黒ぶちのメガネをかけていた。
 ドキドキしながら声も出さず、座ったまま身体が動かない。目だけがその大きな身体の男の人をキョロキョロと見つめていた。



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2008.05.23 / Top↑


「こんにちは。いや、こんばんは。次の電車はいつくるのかな」
 とてもその風体からは想像もできないような細くトーンの高い声に
『エッ!何か期待はずれ』
 がちがちに緊張していた僕の体を一瞬にしてほぐしてくれた。

「電車は来ません」

「エッ、こないんですか。困ったなあ」
 もしかしたら今にも泣き出すのではないかといった困り果てた話し方になった。
「ここは電化されていない線路なんで、電車は来ぃひんよ」
「それは困った、そうすると今夜はここで野宿することになるのかなあ」
 ますます、声のトーンが高く細くなってきた。
「いや、そう言う意味とちゃいます。一時間後には次の列車が京都から来ますよ」
 狐につままれたような顔つきで僕を見つめてきた。良く見ると黒ぶちの眼鏡の奥には小さく丸い目が見える。かなり度の強い眼鏡のようで、眼鏡の中に見える顔の輪郭はかなり小さく、不自然に見えた。
「電気で走る電車は来ぃひん。列車は来る」
「あぁ、良かった。じゃぁ野宿はしなくてもいいんですね」
 にっこりと笑いながらありがとうを言ってくれた。

 東京から来たというその山男風の人は、全国を旅していて、丹波地方へは二回目の訪れだと言う。いつもこの大きなリュックにこの服とこの帽子をかぶって、お金が無くなるまで旅を続けるのだそうだ。
 お金がないからヒッチハイクで移動して、無人の駅や神社や寺に野宿しながら、気の向くままの自由な放浪の旅人、と自らを語った。今日はこの先の小さな山村の友人の所へどうしても行かなければならないので、僕が乗ってきた列車に京都から乗って来たようだ。

「ヒッチハイクはね簡単だよ。ドイツに行った時はベンツにだけ手を上げて乗せてもらうんだよ。どうせ乗るのなら高級車がいいじゃない」
 世界中を旅した話を細い声で一人、話し始めた。
「へー、へーすごいなあ」
 この言葉しか返すことができないほどの感動と、驚きの連続が続いた。
「でも、冬のヒッチハイクは大変なんだよ。せっかく乗せてもらったのに居眠りできないでしょ、あの暖かい車内は睡魔との闘いだよ。足に青あざができるまでひねり続けて起きているの。居眠りしないのが最低限の礼儀だからね」
 切れかけの蛍光灯がある薄暗い山里の小さな駅にいることを、無精ひげの旅人は忘れさせてくれた。
 ほんの数分の間だけの会話しかしていなかったかのように時の経つのが早く、話の途中で福知山行きの列車に乗る人たちが駅舎を抜けて、ホームに入って来た。
「まもなく二番線に列車がまいります」
 構内放送が流れて荷物を片手に待合室から二人並んでホームへと歩いた。この後も、放浪の旅人は多くの話を聞かせてくれた。その人が降りる駅まで。

 このときの出会いが東北のこの地までたどり着いた原点かもしれない。あの人は今も旅をしているのだろうか。僕は東北のこの地を旅の終着点にしている。
 
 今のところ。




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2008.05.24 / Top↑


 「東名高速○○IC付近で40km、東北新幹線下りは200%の乗車率」
 夏のお盆が近づくとこんなニュースが毎日、毎回流れてくる。毎年恒例、夏の民族大移動である。
 夏が近づくとこんなことが思いださせる。

 40kmも渋滞していると一番先頭の人はなにをしているのだろう、さっさと行けばよいのになどと、状況も知らずに先頭にいる人を悪者にしてしまう。前も後ろも横も車に囲まれてイライラして、隣の車線の車が少し進みだすと損をしたような気になり、またイライラする。逆に自分の車線が進み出すと得をしたような気分になり、少し気がまぎれる。

 親父の故郷に家族で帰省することが、子供の頃の夏休み一大イベントであった。帰省する3週間前に準備が始まる。時刻表と睨めっこをしてどの特急列車(その当時は非電化路線でした)に乗って行くか、第一希望の指定席切符が取れない時は第二希望をどれにするか、第三希望は、帰りの第一希望はどうする。座席に座って行くためには、指定席切符を前もって手に入れておかないと、3時間の旅は通勤電車並の混雑の中を、重い荷物と共に立ち続けることになる。

 往きの第三希望までを決めて、2週間前の午前4時半、むかし都のあった市の中心駅行きの列車でいざ出陣。この列車で行くのが一番早くその駅につける。駅のホームに入ると完全に止まる前に、手動のドアを開き飛び降りて「みどりの窓口」目指してまっしぐらに走る。朝の5時である。

 すでに多くの人達が列をつくり思い思いに時間をつぶしている。新幹線の上りの列、下りの列。在来線の上り、下りの列。在来線の下りの最後尾はどこなのか、先頭付近の看板を確認して最後尾へと進み並ぶ。いまから4時間ただひたすらこの場所で待つ。僕一人で。4時間の時を、本を読んだり、人間ウオッチングしたり、ボーッとしながら時計と睨めっこする。

 発売開始30分前になると、番号をマジックで手書きされた申し込み用紙が渡される。前もって希望の列車と枚数を書いておく。
「58番、これなら第一希望も大丈夫かな」
 9時になると十数台の券売コンピューターを弾く音が、けたたましく窓口から聞こえてくる。少しずつ列が前に動き出し、いよいよ僕の番が来る。申し込み用紙を係りに見せると同時に、
「これはもう満席ですね」
 発売開始から40分ほどしか時間が過ぎていないのに、もう満席なのかよ。
「全国のコンピューターが一斉に検索しますから、人気の列車はすぐに満席になります、第二希望から検索しますね」
ガックリ。

 かろうじて第二希望は確保した。しかし、戦いはまだ終わっていない。4日後に帰りの切符を買いに、再びその駅に出陣するのである。帰りも第二希望しか取れなかった。

「お盆は実家に帰るの」とよく聞かれる。
「いまの季節は毎日35℃もあるので、帰りません。交通費も高いしね」
 いかにも日本的なお盆の帰省民族大移動は、とても大変な夏休み大イベントなのである。


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2008.06.13 / Top↑
 ユースホステルハンドブックを開くと、宗谷からオホーツク沿いに一時間ほど南に、浜頓別ユースホステルがあった。最北端の公衆電話から予約した。いつものことながら、突然の予約にも断られたことは一度もない。今のところ。
 ますます風が強く吹くようになり、霧雨が本降りになるのは時間の問題だろう。早々に浜頓別に向う。
 浜頓別ユースホステルは協会直営のユースホステルで、全国屈指の人気ユースホステルの一つだそうだ。しかし、10年前に閉館になり、今では建物もなくなり更地になっているようだ。この当時の多くのユースホステルが、今では閉館されたところが多く、とても残念だ。浜頓別を走っていた天北線も10年以上も前に廃線になった。ユースホステルが閉館なってしまった理由の一つのようだ。
「ただいまぁ」
「お帰りなさい」
 玄関に入るとすぐに大学生ぐらいの女の人が出迎えてくれた。エプロンをしているからヘルパーさんだろう。
「泊まりの方ですか、少し待ってくださいね」
 おや、関西弁である。
「お帰り、さっきの電話の夏樹さんかな」
 奥からペアレントさんらしき男の人が現れた。
「そうです、急に電話をしてすみません」
「大丈夫ですよ、今日は空いているからね」
 荷物を持って部屋に行くと、これまた大学生風の男が一人、先客がいた。小柄で頭髪はスポーツ刈り、見るからにまじめそうな男だった。
「こんにちは」
「こんにちは」
 二段ベッドの下に座っていた男が先に声をかけてきた。
「一人旅ですか、外にバイクとかなかったから、列車ですか」
 夏樹がその男に聞いた。何気なく男ベッドの周りを見ると、下着などの洗濯物が大量に乾してあった。
「かなりの長旅なんですか」
「ええ、まあ。北海道に来て二ヵ月になりますかねえ」
「二ヶ月ですか・・・」
「浜頓別に一ヶ月になりますね」
「このユースホステルにずっと居たはるんですか」
「いや、昨日まで二週間ほど、近くの牧場でアルバイトをしていました。住み込みで」
 夏樹はとても興味津々に聞いていた。


・拙い文章を読んでいただき、ありがとうございます。

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2014.07.27 / Top↑
 国道36号をさらに西へ走り、豊浦から内陸へ入りニセコ方面へ向う。強くはないが雨は降ったり上がったりの繰り返しで、体感は相変わらず寒い。
 真狩村を走っている時に羊蹄青少年の森を見つけた。テニスコートや野鳥の森、フィールドッスレチィク、キャンプ場など野外活動全般が利用できる公園だ。施設内をゆっくりと走りながら様子を伺ってみた。まだシーズン前の平日で雨降り、誰もいないが管理棟には電気が点いている。管理棟近くに屋根のかかった炊事場を発見した、「あそこなら雨が降っていてもテントを張ってキャンプができる」今夜の食材探しにニセコ方面へ向った。
 ニセコ町内に入ると雨が完全に上がったようだ。スーパーを見つけ、さっそく食材探しを始めた。
 味のフライを一尾、ツナ缶と小さいレタス、トマト一個、缶ビールを一本かごに入れた。
「いらっしゃい。この辺りの人じゃないわね」
 店の名前の入ったエプロンを掛けたお姉さん(?) が声をかけてきた。
「はあ、真狩村のキャンプ場にテントを張ろうと思って」
「こんなに寒いのに、キャンプをするの・・・」
「はあ、あまりお金に余裕がないんで」
「じゃあ、これを持っていきなよ」
 そう言ってお姉さんは天ぷらの盛り合わせをくれた。
「ええんですか、おぉきにぃ、ありがとうございます」
「風邪を引かないようにね」
「はい」
 これも旅での出会いの一つ。
 再びバイクにまたがり、来た道を少し戻って羊蹄青少年の森へ。キャンプ場近くにある管理棟へ行った。キャンプ場利用は無料だった。炊事場の屋根の下にテントを張る許可をもらい、バイクも屋根の下に置くことができた。やはり今日のキャンパーは夏樹ひとりだった。
 炊事場には薪を使うコンロがあり、薪も少し置いてあった。僅かな知識をひねりだし、薪に火をつける事に成功した。長い枝を四本見つけてきて、それにグローブとブーツを挿し、コンロの前に置き乾かした。そして、その火を使って飯を炊いてみた。ガスを使わずになんとか炊くことできたが、コッヘルは墨で真っ黒になってしまった。
 星が幾つか見えてきた。明日は晴れそうだ。小樽港へフェリーで帰るイカ、タコさんを見送りに行く日だ。楽しみである。


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2014.12.20 / Top↑

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