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 この年の連休は九月が最後で、十月も十一月も飛び石の連休にしかならず、どこへも旅に出かけられなかった。そして大晦日、浜名湖へ泊まりに行き、これでこの年のすべての連休には泊まりの旅に出かけることができた。夏樹の個人的なこだわりは達成できた。
 浜名湖へは飛沢も石田も都合が合わなく、しかたなく夏樹は一人で泊まりに行った。ニューイヤー・イブ・コンサートも二回目ともなれば、覚えのある人たちとの再会を喜びあえる楽しみができた。もちろん岡本と田中と彼女たちの友達で、昨年も来ていた人たちとも再会できた。これがユースホステルを使った旅の楽しみのひとつなのだろう。
        
                 初日の出2

 年が明け元旦には昨年と同じように、遠州灘の海岸から初日の出を拝むことができた。この後の予定は全く決まっていない、と言うよりこのまま実家へ帰るつもりでいた。岡本たちもこのまま家に帰ると言っていた。
「夏樹さん来年、いや今年の大晦日にもここで会えるといいですね。その時までお元気で」
「おぉきにぃ、岡本さんたちもね。今度、機会があれば京都へ遊びに来てください。案内しますから」
 そういって岡本たちは東京方面の登りホームへ、夏樹は下りホームへ向かった。
 元旦から三日間は実家で過ごした。何をするわけでもなく、ただゴロゴロとしていた。三日には会社の寮へ帰った。なんの連絡もなしに飛沢が現れた。
「おう、あけましておめでとうさん。お前の実家に電話したら、こっちに帰ったって聞いたから、来たで。今日のバイトは早番やし、明日は午前中が非番やから」
「そうか、いっつも突然やなあ、おまえは。実家から真っ直ぐに来たさかい、何もないで」
「だいじょうぶ、ビールとつまみは、買うてきたで」



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2011.07.07 / Top↑
 飛沢はスーパーの袋を胸のあたりまで持ち上げ、そのまま夏樹の部屋に入った。
「正月の三日やから、なんかおもろい番組はやってへんかなあ」
 ビールの入った袋を置くとすぐにテレビのスイッチを入れた。いつものことである、夏樹の会社の寮の部屋は飛沢の部屋のような過ごし方をする。
「なんかあるんちゃうか。適当にチャンネルをましてみたら。ああ、やっぱりビールは美味しいなあ」
 夏樹も遠慮なく飛沢が持ってきたビールを、断りもなしに栓を開け飲み始めていた。
「これが面白そうやなあ」
 数組のお笑い芸人による、漫才やコントの番組にチャンネルを合わせた。それからの二人は缶ビール片手に、放送されている漫才が面白いとか、面白くないとか、勝手なことを話していたが、その他のことは何も話さなかった。飛沢は二本目の缶の栓を開けるころには真っ赤な顔をしていた。夏樹はすでに二本目を飲んでいた。そしてその二本目を飲み終えたころには、飛沢は眠っていた。
「おまえはやっぱり酒が弱いなあ。俺よりも弱いんやったら飲まんほうがええのとちゃうか」
 そう言う夏樹も真っ赤な顔をしながら、飛沢に毛布を掛けてやった。
 そして、いつものように次の日には、いつもの台詞を残して帰って行った。
「ほな、またな」
 こうやって飛沢が帰って行くときに夏樹の頭の中には、少し前に流行ったドラマのエンディング曲が流れていた。
《ただ、お前がいい
 (中略)
      また会う約束などすることもなく
      それじゃあまたな と別れるときの
      お前がいい》
「ほなな」
 夏樹は少しの笑顔で、飛沢を見送った。

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2011.07.10 / Top↑
 四月になり新年度を向かえると、飛沢は車の販売会社に就職した。石田は公務員試験に合格して地元の役所に勤めている。さすがに新入社員はいろいろと忙しいのだろう、飛沢が電話もよこさず突然に夏樹の寮に来ることはなかった。こちらから電話をしても帰宅が遅く、いつも留守だった。五月の四連休は一人で四国へ行くことにした。もちろんバイクで出かけた。

 初日は四時三十分に出発した。渋滞が予想される国道を朝の早い時間帯に通過してしまいたかった。片側一車線の国道171号線は信号も多く、日中はいつも渋滞している道路で、バイクでも渋滞で動かなくなった車の横をすり抜けることのできない道路だ。
 朝の五時ごろの国道171号線には、走っている車は少なく、渋滞など全くなかった。しかし朝が早いからと言って信号が減ることは、もちろんない。車は少なくても頻繁に赤信号で停められてしまい、思うように先には進めなかった。
 兵庫県の池田インターチェンジから中国道に乗った。バイクで高速道路を走るのはあまり好きではない。五人乗りの乗用車と通行料金が同じだからだ。すごく損をした気分にさせられてしまう。(いまは乗用車よりも少し安いのかな)
 一日目の予定は、およそ二百五十キロメートルを走り高松まで行く。料金が高いからと言って高速道路に乗らず、国道2号線を走っていたのでは、渋滞に巻き込まれてしまい、いつになったら目的地に着けるか分からない。しかたなく不本意ながら、高速道路と有料道路を乗り継いで岡山、香川の高松を目指した。



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2011.07.12 / Top↑
 中国自動車道福崎インターチェンジから播但連絡道路へ入る。ただひたすら目的地へ、無事に到着することだけを考えて走っていた。付近の風景などはまったく覚えていないが、この播但連絡道路は真っ直ぐの道路で、大きなカーブもなく、なんだかとても退屈だったことだけを覚えている。
 現在の地図を確認すると、福崎インターチェンジを南下してまもなくから直線になり、およそ十キロメートルの区間をほぼ直線で真南へ向かっている。
 姫路から国道二号線を西へ走る。ゴールデンウイークの初日だからなのか、九時ごろだったと思うが、さほど交通量は多くはなかった。相生からは海沿いを走る国道250号線へ、そして備前から再び2号線へ入った。岡山市内では路面電車を見つけ、急ぎシャッターを押し早々に玉野へ向かった。
                
                 岡山市内
               
 当時はまだ国鉄の時代、玉野市の宇野からは宇高連絡線が就航していたが、民間のフェリーに乗って高松へ向かった。
 バイクと共にフェリーに乗るのは二回目だ。敦賀から北海道の小樽までの航海をしたから、その時と同じように前を走るバイクについて乗り込んだ。小樽行きよりもかなり小さな船の側面にバイクを斜めに停め、ギアーをローに入れサイドスタンドを出した。しかし誰も荷物を降ろさないのだ。それに係員がロープを持ってバイクの固定にもこない。ライダーはDバッグやウエストポーチなどとヘルメットを持って客室に向かった。客室と言っても背もたれの付いた椅子が進行方向に向いて並んでいるだけだ。個室などはなかったように思う。
 夏樹は客室には入らず、デッキに出て外の風景を見ることにした。出港してすぐに目的地の四国の地が見える。航行時間はおよそ五十分で、目の前に四国はある。

                 宇高フェリー




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2011.07.15 / Top↑
 高松港に到着予定の十分ほど前になると、ヘルメットを持ったライダーたちは、我先にバイクの置いてあるデッキに向かい始めた。それぞれのバイクのエンジンを掛けヘルメット被り、車の隙間を縫うように降口のある方へ向かい、港に着くころにはほぼ全部のバイクがゲートの前に陣取り、開門を待った。港に到着し少し待ってゲートが開門されるや否や、ゲート前に陣取ったバイクは一斉に陸地へ走り出して行った。夏樹はそんなバイクの集団の最後尾からゆっくりと上陸した。少し遅れをとってしまった。

 昨年の正月に金沢ユースホステルに泊まり、京都までの列車の中で一緒に過ごした高松在住のクリタに前もって手紙を出し、時間の都合がつくようなら案内をしてくれないかと書いたのだが、仕事が休めず断られてしまった。それでも何箇所かの高松周辺の見所を教えてくれた。
 まずは高松より西の方に五色台と言う景勝地がある。山頂付近からは瀬戸内海が一望できるとのこと、五色台スカイライン有料道路を通り、なだらかな山々を山頂へ向かった。
 微かな記憶と数枚の写真を頼りに「小説のような・・・」を書き進めているので、あやふやところが多い。そこで高松周辺の現在の地図をインターネットで調べてみると、五色台スカイラインが見当たらないのだ。当時の地図には確かに「五色台スカイライン」は載っているのに、再びインターネットで検索すると、1997年に無料開放され、県道281号線になっていた。時代は日々変化しているのである。
 ちなみに五色台スカイラインの南の起点近くを東西に走っていた「高松坂出有料道路」も2011年3月に無料化され、県道になっていた。

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2011.07.17 / Top↑
 五色台スカイラインの展望台からは瀬戸内海を一望できる。目の前に大小の島々と対岸の本州も見える。
「なんか、海やないみたいやなあ」
 海なのに対岸が見える、水平線が見えない海を目の前で実感したのは初めてだった。
 高松市内に戻り駅から南に二キロメートルのところに栗林公園がある。四百年ほど前に造られた大名庭園で、完成までに百年かかったそうだ。バイクを駐車場に停めて園内を散策した。五月の快晴の中を皮のジャンパーを着ての庭園散策は少々しんどかった。それでもヘルメット片手にぐっると一周した。

           栗林公園1

                        栗林公園2

 この日の宿泊は高松市内の高松友愛山荘ユースホステルに泊まる。(残念ながら平成元年に閉館されていた)
 高松駅から徒歩十分の所にある。市街地の住宅街の中にあり、うっかりすると見過ごしてしまいそうな建物で、周りに山は見えないのになぜ『高松友愛山荘』なのだろうか、ペアレントさんにそこまで突っ込んだことは聞かなかった。定員は三十二名の民間経営のユースホステルだ。
 高松は瀬戸内海に近く海の幸が豊富に味わえる土地なのだろうが、そこはユースホステル、全国的に食事は期待できない、いつものことだ。ここも海の幸が山盛りとはならず、お母さんの作る家庭料理と暖かい味噌汁、炊き立てのご飯だった。
 しかしここのユースホステルは禁酒ではなかった。
「人に迷惑をかけなければ、酒ぐらい飲んだっていいじゃないか」
 このペアレントさんのお考えに感謝して、同部屋の長野から一人旅をしている男性と共に、高松駅の方へ缶ビールを買いに出かけた。




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2011.07.21 / Top↑
「ユースホステルに泊まって酒を飲んでもいいって言われたんは初めてやなあ」
「へえ、そうなんですか。僕は今日、初めてユースホステルに泊まるんですよ」
 長野から来たと言う男は、夏樹よりはあきらかに年が下で、大学生のようだった。
「基本的には、ユースホステルでの酒は禁止なんやけどね。まあ、ユースホステルもいろいろあるんやろね。協会の直営や公営のユースホステルは絶対にむりやね」
「じゃあ俺はある意味、ラッキーなのかな」
 高松駅のほど近くに酒屋があった。そこの自動販売機で缶ビールを二本ずつ買い、店の中でつまみになりそうなピーナッツなどを三点ほど買った。
 ユースホステルの食堂に戻り、まずは二人で乾杯した。
「明日はどこへ行かはるんですか」
 缶ビールを一口飲み、長野から来た大学生に聞いた。
「明日は道後温泉に行きます。おれ、夏目漱石が大好きで、大学でも国文科で夏目漱石の研究をしているんですよ。それで今回は『ぼっちゃん』の舞台となった愛媛県の各地を見に行くのですが、今朝、長野から出てきて電車の乗り継ぎがうまくいかず、今日は高松に泊まることになってしまって」
「じゃあ、もしかしてここに泊まる予約を取らなかったの」
「そうです、松山にできるだけ近いところまで行こうと長野を出てきたので、泊まるところは決めていなかったです」
「へえ・・・」
「高松の駅で泊まるところを探したのですが、連休なのでどこも満室で、ユースホステルなら空いているかも知れないからと、電話番号を聞いて電話したら、空いていますからどうぞって」
 長野から来た大学生はよく話をした。その合間にビールを飲み続け、わずかな時間で一本目を飲み終えてしまた。


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2011.07.24 / Top↑
 長野の大学生は二本目を空けると、自分の好きな夏目漱石の話を続けた。夏樹は文学にはあまり、いやほとんど興味はなく、名前といくつかの作品名ぐらいは知っていたが、読んだことはなかった。
「僕はね、彼の作品の中では『坊ちゃん』が好きです。ユニークな登場人物がね、いいんですよ」
 少し酔いが廻ってきたのか、ますます自分のことばかりを話すようになった。
「すいません、なんかさっきから俺ばかりが喋ってしまって」
「いや、面白かったです。旅に出かけるとね、こうやっていろんな人と出会い、いろいろな話を聞くことができるから、楽しくて面白いんですよ。けど文学のことを熱く語る人と出会ったのは初めてやなあ」
「さっきから、気になっていたのですが、もしかして関西の人ですか?」
「ええ、今ごろ気がついたんですか。こういう人も初めてやなあ」
「こういう人って、どう言う人ですか」
 長野の大学生の顔がかなり赤くなって来ていた。
「たいていの人は初対面の時の僕の一言で、関西人やって分かるようですけど、そのことに今ごろになって気がついた人は、初めてですねえ」
「ああ、なるほどね、多分ねえ自分が話をすることに夢中になってしまって、すいませんです」
「いやいや、大丈夫、なかなか面白い人やなあ」
 その時、大学生らしき男四人組が食堂に入って来た。
「あれ、ビールを飲んでもいいのですか」
「ああ、いいんですって」
「珍しいですねえ。でもどこにも売っていなかったよねえ」
「ペアレントさんに言って買ってくるのですか」
「違いますよ、ここには売っていませんよ、僕たちも外に行って買ってきたのです」
 長野の大学生が笑顔で男四人組みに言った


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2011.07.26 / Top↑
 男四人組みは足早に食堂を出て、長野の大学生から聞かされた高松駅前の酒屋へ向かった。
「ところで、関西さんの明日は、どこへ行かれるんですか」
 長野の大学生は夏樹のことを関西さんと呼んだ。
「おれは四国の東側の海沿いを走って、高知まで行きます。俺はねえ坂本竜馬が好きでねえ、桂浜の竜馬像を見に行きたいんよ」
「竜馬ですか。幕末の志士ですね。あの時代のことを勉強するのも面白いですよねえ。新選組も薩長も国を思う気持ちは変わらなかったと思うんですよ。でもあの時代は主君あっての我が身、今の時代では考えられない精神状態だったのだと思います。それぞれの主君の利益とか面子とかが優先したから、会津の白虎隊のような悲劇が生まれてしまったのでしょう。もっと腹を割って国の行く末を語りあえれば、あんなこともなかったと思いますねえ」
 長野の大学生は赤い顔をしているが、はっきりとした口調で語った。
「けどね、歴史に『たら、れば』と言う言葉は禁物やけど、薩長を中心とした新政府は富国強兵を推し進めた結果、太平洋戦争という悲劇を作ったやろ、もし薩長が中心やなかったら、って思うんやけど、長野の国文学者はどう思います」
「もしも、と言う言葉を使って歴史を語ると、答は出ませんから、私にはどうなったかわ分かりませんし、個人的にそこまで考えたこともなかったです。大きな悲劇があったから、二度と繰りかえさないと言う反面教師的な存在でもあるのかなと思ったりもしますが。それと俺はまだガクシャじゃなくて、ガクセイですから、お間違いなく」 
 長野の学生はそう言うと、右手に持った缶のビールを一口飲んだ。





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2011.07.28 / Top↑
 二人は酔いが少し廻ってきたようだ。歴史と言う酒飲みの場にはそぐわない、難しい話をしているからだろうか、話しの内容が支離滅裂になってきていた。夏樹も二本目の缶ビールの栓を開けていた。
「じゃあ、長野の学生さん」
「おれは小林と言います。あなたの名前も聞いていませんでしたねえ」
「俺はナツキです。春夏の夏に大樹の樹、夏樹です。小林さんは明日、愛媛の道後温泉まで行って、しばらく松山周辺に居るんですか」
「夏樹さん、申し訳ないですが、私の方が年下だと思います。年上の方に「さん」付けで呼ばれるのは、いかがなものでしょうか」
「いや、そんなことはないよ、旅に出たら年齢も仕事上の立場も何にも関係ない、皆が旅人や、共通点はそこだけやから、小林さんと僕が呼ぶのは自然なことやと思うけどなあ」
「そうですか、でもやっぱり「さん」はやめてください、せめて「くん」にしていただけませんか、美味しくビールを飲むために、なんとかお願いします」
 小林は随分と拘っているようで、軽く頭を下げて夏樹に頼んだ。
「じゃあ、小林くん・・・、んん、この台詞、どこかで聞いたような・・・」
「少年探偵団でしょ、ゼミの助教授によく言われるんです」
「そうか、それやなあ。もしかしてそれで「くん」を付けて呼んでほしかったんかあ」
 小林は何も言わなかったが後頭部を軽く掻きながら下を向いた。
「はははっ・・・。なかなかおもろいやっちゃなあ、夏目漱石の研究者にしとくんはもったいないなあ」
 二人は片手に缶ビールをもったまま大きな声で笑った。そこへ男四人組が缶ビールの入った袋を持って、食堂へ入って来た。



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2011.07.31 / Top↑
「なんか、楽しそうですねえ、僕らも仲間に入れて下さい」
 男四人組がそれぞれに缶ビールを持って、夏樹たちのテーブルに集まった。
「まずは初めまして、今夜かぎりかも知れへんけど、よろしゅうたのんます。カンパーイ」
 夏樹が音頭を取り、缶ビールを持った腕を頭の上まで上げた。それにつられるように他の五人も大きく腕を上げた。
「こちらの兄さんは関西ですね。俺も滋賀なんですよ。今は広島の大学に通っていて、今日は休みを利用して四人でちょっと一泊旅行に来ましたんや」
「滋賀の出身ですか。なっ小林くん、関西人やってすぐにばれてしまうやろ、これが普通や、あんたは気がつくのが遅すぎるわ」
「すみません」
「いや、べつに謝らんでもええねんけどな」
「でもそちらの関西弁は大田のとは少し違いますよねえ」
 滋賀出身の大学生の隣に座っていた長髪の男が言った。
「あんた、なかなか鋭いねえ。俺は京都です。違いが分かりますか、滋賀と京都ってそんなに喋り方が違うかなあ」
 滋賀出身の大学生に顔を向けて話した。
「どうやろねえ、滋賀の北部やからちょっと訛ってるかもしれへんねえ」
「訛った関西弁ってどんなんや、そもそもいわゆる標準語から見たら、関西弁が訛ってんのとちゃうか」
「確かにそうですけど、それを認めへんのが関西人でしょ」
「そうなんよ、滋賀県人も同じように関西人なんやなあ」
「なぜ、関西人同士が旅先で一緒になると中心的存在になっちゃうんですかねえ。俺は高校、大学とユースホステルを使って全国を旅してるけど、関西の人が二人以上いると、その人たちが司会者のように仕切るんですよねえ」
「すんません」
 滋賀出身の大学生と夏樹が同時に謝った。



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2011.08.02 / Top↑
「楽しくて良いじゃないですか。旅先で知り合った人たちと、一夜かぎりの楽しいひと時、関西の人がいると盛り上がりが違いますから」
 長髪の大学生が言った。このあとも夏樹と滋賀出身の大学生がなんとなく中心的な存在で話しが盛り上がり、いつのまにか手持ちのビールが全て空になってしまった。
「ビールも空になったし、小林くんの顔も真っ赤になったし・・・」
「夏樹さんもだいぶ赤いですよ。俺とどっちが赤いか彼らに決めてもらいましょうよ」
 小林はそう言うと夏樹の顔の横に自分の顔を近づけ、四人組の方を見て微笑んだ。
「小林くん、それを決めてどうするんだい。それよりも犯人は分かったのかい」
「犯人?何の話ですか」
「滋賀くんたちにはわからんかな、少年探偵団と言う小説を」
「怪人二十面相が出てくるやつですよねえ」
「滋賀くん、その通りだ。その小説に出ているのが、少年探偵団の団長、小林くんだ」
「了解しました」
 滋賀出身の大学生が話しに乗って来た。しかし、他の三人は何の話なのか分からず、呆気にとられていた。さらに話の中心になっているはずの小林は、テーブルに頬杖をついて居眠りをしていた。

 翌朝、快晴の朝を迎えた。夏樹は昨夜の発言を良く覚えていた。酔いにまかせてのこととはいえ、少し恥ずかしい思いが頭の中に残っていた。外の天気とは裏腹に少し俯きながら食堂へ向かった。食堂には四人の大学生が窓に近いテーブルで朝食を食べていた。
「おはようございます。小林くんは大丈夫ですか、明智さん」
 滋賀出身の大学生は夏樹の不安を打ち消すかのように、朝から昨夜の寸劇(?)の続きを始めた。



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2011.08.04 / Top↑
 夏樹は四人の大学生のテーブルに入り一緒に朝食を食べ始めた。そこへ小林が食堂へ入って来たが、まだ眠そうな顔をしていた。
「小林くんおはよう、事件は解決したかい」
 夏樹が手を上げて小林に言った。小林も夏樹たちのテーブルに入り、一緒に朝食を食べた。出発時間のぎりぎりまで六人で会話を楽しんだ。
「それでは皆さん、お元気で良い旅を続けてください」
 ユースホステルの玄関で夏樹はヘルメットを被りながら、四人の大学生と小林に言った。

 夏樹は鳴戸から海沿いに高知へ向かう、およそ三百キロメートルの走行距離を走る予定だ。四国の内陸部を走れば百五十キロメートルほどしかない。少し距離が短いので、あえて東側の海沿いを走って高知へ向かうことにした。
 鳴戸と言えば渦潮。ここまで来て渦潮を見ないで通りすぎるわけにはいかない。しかし、渦潮が見られるかどうかは行ってみないと分からない。国道11号線を瀬戸内海沿いに東へ向かう、鳴戸までは六十キロメートルほどの距離だ。鳴戸市の市街地の手前で鳴戸道路へ入る。ここは有料道路なのだが、料金が高いのに有料道路としては少し整備が悪かった記憶がある。(あくまでも三十年ほど前の話である。ネットで調べてみると、現在は有料道路ではなかった)
 一時間三十分ほどで淡路島へ繋がっている鳴戸大橋に着いた。高松のユースホステルを出発したころは晴れていたのだが、鳴戸に着く頃には曇り空になっていた。
 鳴戸大橋はまだ開通前だが、橋のすぐ目の前で見ることが出来る展望所から開通前の大橋を見ることが出来た。
「あの遊覧船は何であそこに停まってるんや」
 よく見ると停まっているわけではなかった。潮の流れが速いので前に進まないのだ。遊覧船の後にはスクリューの作る白い波が大きく流れていた。

                  鳴戸大橋


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2011.08.07 / Top↑
 展望所から望む対岸は淡路島だ、目の前に見える水路は川ではなく、海である。海の上に大きな橋が架かっているという光景は、今までに見たことのないものだった。地図を見て四国と淡路島の位置関係を知っているから、これは海なのだと認識できる。そうでなければ海には見えない、大きな川にしか思えない。
 鳴戸大橋のすぐ下あたりに渦が廻っているのが見えた。ゆっくりと大きく廻る渦は、見ているだけで様々な想像をしてしまう。子どものころに見たアニメの世界がよみがえり、自分もあの中へ吸い込まれていくような思いが頭の中を過ぎる。大きな渦の周りには小さな渦も廻っていた。
「西から東へ潮が流れてると言うことは、引き潮の時間なんやなあ」
 しばし展望所にとどまり、渦潮を眺めた。

          南阿波1
                    南阿波2      

 国道55号線を南下し徳島市へ、さらに南へ走り日和佐町から南阿波サンラインへ入った。(当時は有料道路だったが、今は一般県道として無料開放されている。) 太平洋の海岸沿いを走っていると天気も少しづつ回復し、青空も見え始めた。南阿波サンラインは18キロほど走ると再び国道55号線に合流する。海岸沿いを高知県に入り、室戸岬を目指す。
 緩やかなカーブが続く道は少し退屈だった。室戸岬までの距離ポストが少なくなっていくのを確認することだけで前に進んでいるのだなと感じていた。
「もうすぐ室戸岬やなあ」
 室戸岬と聞いて思い出されるのは台風だ。「室戸台風」は昭和九年に関西地方に甚大な被害を残していった大型台風の名称だが、高知県沖から日本へ向かってくる台風情報をテレビで聞くと、必ず「室戸岬」が出てくる。室戸岬イコール台風のイメージが大きい。


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2011.08.10 / Top↑
 緩やかなカーブの連続の海岸線を走っていて、対向車線を走る車やバイクを見かけることがあっても、道路を歩く人を見かけることはなかった。しかし路上に車やバイクが駐車し、突然に道路を歩く人たちを見るようになった。なぜだか分からないまま通り過ごそうかと思ったとき、「室戸岬」の文字が目に入った。室戸岬に到着したのだった。
 地図で見ると太平洋に突き出た室戸岬だが、実際の現場は海に突き出ている様子は伺えなかった。「室戸岬」と言う文字がなければ、ここが岬だとは分からず、緩やかなカーブの海岸線のある地点としか認識できなかった。
 ひとまずバイクを停め、付近を散策した。岬の土産物屋で遅めの昼食を済ませ、きょうの宿泊地である高知へ向かい、再びバイクを走らせた。

          室戸岬
                 室戸岬2


 室戸岬までの道路と同じように緩やかなカーブの連続の海岸線を北西に進む。方位磁石があるわけではない、地図を見ると突き出た岬を過ぎると高知へ向かう国道55号線は北西へ向かっている。山間の道路のように急なカーブはなかったが、片側一車線で海側は堤防が迫り、山側は民家が道路の脇に立ち並ぶところもあった。
 そんな決して広くない道路を走っていると後から次々と三台のバイクが夏樹を追い越して行った。後姿を見るとおそらく女の人だ。夏樹の少し前を走っていたナナハンのバイクも軽く追い越して行った。夏樹のバイクのスピードメーターは60kmを指していたから、80kmは出ていたのではないだろうか。ここの道路の制限速度は40kmだったと思うのだが、取締りをやっていなければ良いのだけれど、それにしても少し飛ばし過ぎではないだろうか。




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2011.08.14 / Top↑
 室戸岬から国道55号線を走り七十キロメートルほどで高知の桂浜に着く。ユースホステルへ行く前に今回の旅の第一目的地へ向かった。高知市内の少し手前から県道に入り海のすぐ横の道を走る。太平洋から吹いてくる海風は心地良く、快適にバイクを走らせることができた。
 桂浜に近づくにつれパトカーがあちらこちらに停まっていたり、赤色灯を廻してゆっくりと走っていたりと何か普通の状況ではないようだ。さらに近づくと重装備をした数人の警察官が、交差点の角などに立っていた。
「なんなんやろ、この物々しい状況は、なにがあったんやろ」
 巻き込まれたり不審人物として職務質問されたりしないように、ゆっくりとバイクを走らせて竜馬像のところへ向かった。
 竜馬像への案内看板を見つけたとき、その周辺にも重装備した警官と、防弾チョッキを着た数人の制服警官が巡回していた。その時、テレビで見たニュースのことを思い出した。数日前に○○組と××会の抗争が高知で始まり、俄かに戦場のようになりそうになっていたのだ。巻き込まれてしまえば大変なことになってしまう。
 坂本竜馬は司馬遼太郎の同名小説を読み、大きな感銘を受け幕末の時代に興味を持つきっかけになった人物だ。今でも多くのドラマや映画に明治維新の立役者として登場してくる。もし竜馬が暗殺されなければ時代はどのように変わったか、などと歴史学者や作家が話しているテレビ番組もあった。
 折角の桂浜だったが、なんとなく騒々しく、物々しく、ゆっくりと見学ができなかった。

                 竜馬像




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2011.08.16 / Top↑
 この日の泊まりは、高知駅から歩いて七分の高知駅前ユースホステル。民営のユースホステルで定員は百四十名だった。一室に二組の二段ベッドが向き合って置いてあるのだが、その間が狭く荷物を置く場所もないほどだったのを覚えている。(時期は分からないが閉館されている)
 物々しいことになっているからなのか、宿泊者は少なかった。夏樹と同じ部屋には先客の一人の男がいたが、顔を合わせてもあまり愛想がよくなく、食後はベッドのカーテンを引き早々と寝てしまったようだった。ミーティングもなく、食堂に人影はまばらで情報交換をできなかった。仕方なく夏樹も早々に寝ることにした。

 四国の旅、三日目は曇り空だった。朝食を早めに済ませ、高知の街へ出かけた。高知の旧国名は土佐、土佐と聞いて思い浮かぶのが、はりまや橋。「坊さんかんざし、買うをみた・・・」の歌詞が思い出される。随分と古い歌なのだが、はりまや橋と言えばこの歌の印象が強く残っていた。
 高知駅から南へすぐの所にあり、交通量も多く土佐電気鉄道の路面電車も走っている。今は橋の欄干が観光用に残っているだけで、この橋の下は随分と前に埋め立てられたようだ。
 この橋の近くに追手筋と言う道があり、日曜市が開かれていた。毎週日曜日にだけ開かれる街路市で、ちょうどこの日が日曜日だった。それぞれの店には南国らしい大きな柑橘系の果実や、野菜に海産物、生活雑貨などが売られていた。端から端までを一通り見て周りサトウキビを見つけ、思いのほか安く、初めて見たので買い、店の人に食べ方も教わり土産として持って帰った。

       はりまや橋1

              はりまや橋2

                     朝市



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2011.08.21 / Top↑
 高知を後にして国道32線を北上し再び徳島県に入った。珍駅名としても知られた大歩危、小歩危のある山間が迫ってきた。道路の両側の山は険しく、谷は深かった。国道から大歩危駅の線路を越え、祖谷渓道路(現在は県道45号線として無料開放されている)を東方向へ走る。

           大歩危駅1                 

                      大歩危駅2

 有料道路にしては少し荒れた道路を進むと急なカーブの連続で、さらに登り下りも連続してくる。大歩危駅から二十分ほど走ると祖谷川が見えてきた、ここから少し南にいくと「かずら橋」がある。葛類を使って架けられた原始的な吊り橋で、弘法大師が村民のために架けたとか、追手が迫ってきてもすぐ切り落とせるように葛を使って平家の落人が架けたとかの伝説があるようだ。今では有料の観光橋で多くの観光客が訪れる。人専用の橋で、もちろん車やバイクは渡れないので、すぐ近くにコンクリートで造られた橋もあった。
 有料歩行者専用観光橋と看板に書かれていて、よく見ると「渡橋料二百五十円」とあった。橋の長さ四十五m、幅二m、谷からの高さ十四m、橋の上に乗れる人数には定員があり、そのために料金を払った多くの観光客が橋の手前で自分の順番が来るのを待っていた。
 渡橋料は決して高くはないと思うが、橋の手前で順番待ちをしてまで渡らなくもいいかなと思い、渡らずに少し上流のコンクリートの橋から「かずら橋」の写真を撮った。

                    かずら橋1
             
                かずら橋2




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2011.08.25 / Top↑
 祖谷川を県道三十二号線沿いに北上する。センターラインのない狭い道を左右にカーブしながら上ったり下ったりの連続する道が続く。場所によっては車同士の行き来は難しいところもあった。深い谷を挟み対岸の山には家がへばりつくように点在し、家の姿は見えていても、そこまでたどり着くにはかなりの時間がかかりそうだ。平家の隠れ家があったということが頷ける。
 山側には岩石の塊のような岩肌が垂直にそそり立ち、谷側のガードレール一枚の向こうは急勾配の崖が続く。その一枚のガードレールをもし突き破ってしまうと、谷底へ真っ逆さまに落ちていくのだ。

                  祖谷渓

 スピードは常に控えめに走らなければ、すぐに事故になってしまいそうだ。もちろん集落などもほとんど見ることはなかった。それなのに最悪の事態が訪れた。アクセルをいっぱいに廻しても加速することなく、そのまま止まってしまった。エンジンが突然、止まってしまったのだ。クラッチを握りセルボタンを押しても何の音もなく、エンジンが廻ることはなかった。
 慣性による走行も限界がきた、ブレーキをかけ路肩にバイクを停め、メインスイッチを切りスタンドを出しバイクを降りた。夏樹はバイクのメンテナンスにあまり詳しくはない。それでもわずかに知りえる知識を最大限に活用し、この窮地か抜け出さなければならない。
 まず基本中の基本だが、ガソリンタンクの中を覗きガソリンの残量を確認した。ほぼ満タンに近い量が入っている。ガソリンタンクの下にあるコックはONになっている。プラグコードはプラグにしっかりと繋がっている。プラグの点火不良だろうか、しかしプラグを外すのは面倒だ。もしかしてもう直っているかも知れないと、わずかな望みを期待してメインスイッチを入れてセルボタンを押してみたが、何の音もしなかった。



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2011.08.29 / Top↑
「えらいこっちゃなあ・・・。こんな山奥でエンジンが止まってしもうたら・・・」
 たとえバイクのメンテナンスに詳しくても、突然エンジンが止まってしまったら、どうすることも出来ないのではないか。どれぐらいの時間が過ぎただろうか、山と渓谷の底に流れる川を眺めていた。対向車も追い越して行く車もほとんど走っていないし、絶望感でいっぱいだった。
 このままここに座りこんでいても、らちが明かない。セルモーターが故障しているだけかも知れないと、下り坂を利用しての押し掛けに最後の望みをかけた。
 メインスイッチをオンにし、クラッチを握りギアーをセコンドに入れ、シートに跨ったまま両足で少し前に進み、下り坂を少しずつ加速していく。
「そろそろ、ええかな」
 頃合いをみてクラッチを一期に放した。ひとまずエンジンはけたたましい音を立てた。クラッチを握りアクセルを少し大きく廻してみた。エンジンは元気に廻り続け、大きな音を出してくれた。
「かかったあ。ちゃんと掛かってる」
 不安は残っていたけれど、とりあえず行けるところまで、いつも以上に安全に気を配り琴平へ向かった。

 エンジンを止めることなく国道三十二号線を北上し、金刀比羅さんに着いた。ここまでエンジンが勝手に止まることはなく、順調に走って来ることができた。なぜ止まったのか知る由もないが、大丈夫だろうと不確かな自信を持ちエンジンを止め、金刀比羅神社参詣の石段に向かった。



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2011.09.01 / Top↑
 金刀比羅宮は金毘羅宮や琴平宮とも書くようだが、海上交通の守り神としての信仰が厚く、全国の金刀比羅神社の総本宮だ。
 山の中腹から山頂までの山腹に本宮から奥社があり、山頂の奥社まで行くには1368段の石段を登らなければならない。
 バイクを駐車スペースに停め、たとえ盗まれたとしても、着替えと土産に買ったサトウキビぐらいしか入っていないから、荷物は括りつけたままにした。やはりこのバッグを持って石段を登ることは少し無理がある。ヘルメットはメットホルダーにロックし、その中にグローブを押し込んだ。かなりくたびれた皮のライダーブーツに穴の空いた皮のライダーパンツ、安物の合皮ジャンパーを着たまま、1368段の石段に挑んだ。

             金比羅1

                    金比羅2

 登り口付近には江戸時代の駕籠のような乗り物が数台並べられていた。脇の看板を見るとこれに乗って石段を登ってくれるというのだ。もちろん有料。登りだけの片道と、往復の料金が書かれている。年配の人などは利用しないと登りきれないのだろう。
 曇り空の空模様とはいえ五月の四国地方は初夏のように気温は高く、バイク用の装いでの石段登りは、登りはじめてすぐにじわりと汗が湧き出てきた。早々に合皮ジャンパーを脱ぎ肩に担ぐように持ち、息を切りながら一段一段登っていった。
 奥社まで休むことなく登り参詣し、全身の汗が引いたころに石段を下りることにした。下りは軽快に足が前に進み、あまり汗を掻くことなく駐車場まで行くことができた。この後は高松からフェリーに乗り鷲羽山のユースホステルに向かう。

                     金比羅3


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2011.09.06 / Top↑
 バイクのセルモータは何度押しても何の音もしないし、もちろんエンジンが動き出すこともなかった。クラッチを握りセコンドへ蹴り上げゆっくりと押しながら前に進み、少しずつ速度を上げた。頃合いを見て飛び乗り、シートに腰を降ろす瞬間にクラッチを勢い良く放し、アクセルを廻した。すぐにけたたましい音を発ててエンジンが回りだしたのを確認して、再びクラッチを握りサードギアーに蹴り上げて前に進んだ。
「なんとか、明日の京都までこのままで、これ以上悪くなるなよ・・・」
 心の中で祈った。
 高松からフェリーに乗ったころには雨が降りはじめた。まだ合羽を着るほどの雨足ではなかったのだが、宇野に着いて押しがけをしてフェリーを降りると強く降るようになってきった。すぐに合羽を取り出し着込んだ。間に合わせで買った安物の合羽は、防水性はそれなりに良いのだが、通気性が悪く走っていると首元以外の体中からは、じわりと汗が滲んできた。
 宇野から国道430号線を西へ進む。雨はますます強く降るようになり、ヘルメットのシールドに多くの雨粒が残り、前が見えにくくなっていた。さらに首元から少しずつ雨水が入り込み、時々胸元を水滴がへそまで落ちて行くのが分かった。さらに通気性の悪い合羽は夏樹の体から出ってきた汗をこもらせ、下着に吸い込まれていった。とても心地が悪く少しでもはやくユースホステルに着いて全てを脱いでしまい、風呂に直行したい気分で一杯だった。


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2011.09.10 / Top↑
 宇野から二十キロメートルほど行くと鷲羽山がある。今では瀬戸大橋への道路がすぐ脇を通っている。瀬戸内海へ突き出た児島半島の先端に今日の宿泊地、鷲羽山ユースホステルがある。ここは公営のユースホステルだ。定員は六十名、この日は満室のようだ。
 受付を済ませ部屋に荷物を置き一目散に風呂へ向かい、軽く身体を洗って浴槽に入った。その時のなんとも言えない心地良さは言葉に出来ないほどに気持ちが良く、おもわず「ああぁぁ・・・」と大きな声を出してしまった。そしてそのまま両手で浴槽の湯をすくい、三回ほど顔にかけた。ゆっくりと時間をかけて浴槽に浸かり、雨の中の走りにくい道を走って来た緊張をほぐした。
 この日の夕食は海の近くの宿らしく、刺身が少し付いた。海沿いだから海のもが夕食に出てくるユースホステルは、どちらか言えば珍しいだろう。
 トレーにのせた一人分の夕食を持ち、空いている席に向かった。
「ここ、空いてますか」
「はい、どうぞ、どうぞ。お一人ですか」
「ええ、バイクで一人旅をしてます」
「へええ、バイクで、一人で、旅をしたはるんですか」
 数人の男女のグループで来ているようだ。大学生よりは少し年齢が上のようだが、夏樹よりは年下のようだ。その中の一人の女性が驚いたような顔をして言った。その女性の話し方を聞いてすぐに関西の人だと思った。
「あのう、関西の人たちですか」
「はい、そうです。伊丹って知ったはります、あの大阪空港がある伊丹。あそこに住んでて、みんな大学の時の友達で、今はそれぞれが地元に就職をしたものだけで一泊旅行に来たんです。おたくさんも、関西ですよねえ」





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2011.09.12 / Top↑
 今まで旅先のユースホステルで関西弁を聞くことが少なかった。京都より東に旅に出ると、標準語を話す人が圧倒的に多かった。今回久々に西方面へ旅に出かけて気が付いたことは、関西の人はどちらかと言えば関西より西に旅に出るのだろうか、ということだ。今日の鷲羽山ユースホステルでも関西弁が多く聞こえてくる。昨日の高知もその前の日の高松も関西弁が多かったように思う。
「おれは京都です。いやあ、関西人が多いみたいやねえ」
「そうみたいやねえ、西日本は大雑把にやけど皆んな関西弁に似てるからねえ」
 伊丹から来たという女性が言った。
「そんなことはないで、九州はぜんぜん違うんとちゃうか」
 伊丹グループのガッチリとした体格の男が言った。
「そらそうやけど、九州の人にはあんまり合ったことがないやろ。そやから、関東の人から見ると、西日本の人は大雑把やけど皆んな関西弁に聞こえるって、かつら崎で言うてる人がいたやんか」
「かつら崎。あの能登のかつら崎ですか」
 夏樹が不思議そうに聞いた。
「そうやけど、彦さんの所に行ったことがあるんですか」
 女性が言った。彼女は伊丹からの六人グループのリダー格なのか、他の人の声はガッチリタイプの男だけだった。
「今年の正月の三日に泊まってきた。常連さんばかりで、面白い人たちばっかりで、その日は金沢まで行かんとあかんかったのに、なかなか帰してもらえへんかったんや」
「へえ、かつら崎にいかはったんや。私らも年越しはかつら崎に居たんですよ。ほなヨッチとヨッコとテンちゃんと会ったんですか」
「ヨッチとヨッコ・・・、うんいたいた、新しいデュエットグループみたいやって、俺が言うたんや。テンちゃんって、ちょっと小柄な大学生とちゃうかいなあ」
「いやあ、すごいなあ、そんな人とここで会えるやなんて」
 リダー格の女性が驚きの表情をした。


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2011.09.15 / Top↑
 夏樹がかつら崎ユースホステルに泊まったことがあると分かると、他のメンバーもかつら崎ユースホステルのこと、彦さんのこと、いつもの常連ホステラーのことを話しはじめた。みんなかつら崎の常連で、年に二,三回は泊まりに行っているようだ。
「ヒゲさんも今年の夏にかつら崎に行きましょうよ。すぐ裏が海やから、ユースからそのままダイビングして、海にいけるよう」
 長い髪の小柄な女性が言った。
「その話し、聞いたなあ。夏に初めてかつら崎に泊まると、ユースから海に放り投げられるって。ええっと・・・、タケさんだ、あの人が言ってたなあ」
「タケさんにも合ったんや、あの人はあそこの主みたいな常連やから」
「そやねえ、俺よりもだいぶ年が上とちゃうかなあ」
「ここにいるみんなも、海に投げ込まれたんや」
 少しガッチリ体型の男が言った。
「俺が行ったのは正月やのに、もうちょっとで投げ込まれるとこやったわ」
「そういうことをするのは、いとうさんやな」
「そうそう、いとうさんや、ちょっと見た目が悪そうな人やろ」
「その通り。けど、あの人なあ、医者らしいで、それも小児科やて、ヨッチが言うてたことがあったなあ」
「小児科?子どもが恐がって逃げんのとちゃうか」
 そこにいたみんなで大笑いした。
 それからどれぐらいの時間が過ぎただろうか、朝食の片付けもせずに話し込んでいた。時折、視界に入る窓の外の風景は、雨が降っているかいないかは分からないが、相変わらず曇り空のようだ。でもこのテーブルの周りはとても楽しい時間が過ごせる場所だった。





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2011.09.20 / Top↑
「あのう、食器を持って来てもらえますかあ」
 食堂の洗い場の方から、白く長いビニールのエプロンをした一人の女の人が、ゆっくりと歩きながら出てきて言った。
「あっ、すいません。今、持っていきますう。それではみなさん、ご馳走様でした」
 伊丹グループのリーダー格の女性が言った。
 部屋に戻り荷物をまとめ、帰り仕度をした。外は相変わらず曇り空だが雨は降っていないようだ。とりあえず、雨が降っていなければバイクに乗ることに支障はない。それよりもバイクのエンジンが動くかどうかが心配だった。昨日も祖谷の山中で突然停まってしまい、冷や汗をかいた。押し掛けをして始動したものの、その後も金刀比羅宮を出る時にもセルモーターは廻らなかった。今日は旅の最終日、なんとか無事に京都まで帰ることができることを祈った。
 荷物を持ち、受け付けにシーツを返して外へ出た。多くの宿泊者が集まっていた、みんなのカメラで記念撮影をしようと言うのだ。順番にユースのスタッフさんにカメラを預けて写してもらった。夏樹も慌ててカメラをバッグから出し、頃合いを見計らってカメラを預けた。
 写真を写し終わるとヘルメットを被り、押し掛けをしてエンジンを掛けた。一回で始動してくれたので、まずは一安心だ。
 バイクで来ていたのは夏樹だけで、一緒に写真を写した人たちみんなが、見送ってくれた。
「じゃあ、皆さん、行ってきまあす。またどこかで会えるといいですね」
「行ってらっしゃあい。また会おうねえ」
 見送ってくれた人たちの何人かが、大きな声で言った。

               記念写真



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2011.09.23 / Top↑
 何事もなく走ることができれば、京都までの道程はそんなに長い距離ではない。急いで出発することはない、鷲羽山の展望台へ向かうことにした。ユースから歩いても行ける距離だが、バイクに荷物を積んでしまったからそのまま展望台へ向かった。展望台からは建設中の瀬戸大橋の橋脚が見える。今見ている景色の真ん中に大きな橋が架かることを想像してみたが、はっきりとした映像は見えてこなかった。想像力に乏しいのだろう。展望台から望む角度を変えると、児島港も見ることが出来た。
              瀬戸大橋橋脚

                   児島港


 空模様は相変わらず空一面に雲が広がっていたが、少しだけ雲の切れ間が見えてきたようだ。とりあえず雨さえ降ってこなければ良しとした。天気も気になるが、どうしてもバイクのことを考えてしまう。どのようなトラブルがあるかわからない、まだ時間には余裕がある、急いで出発しなくても、と思ったがやはり早々に帰路に付くことにした。
 展望台からバイクに乗って降りてくると、ユースホステルで一緒だった伊丹グループの五人が歩いて登って来た。
「ひげさあん・・・」
 伊丹グループのリーダー格の女性が大きく手を振り、夏樹に声をかけた。その言葉に答えてエンジンは停めずに停車した。
「展望台に行かはんの。もうちょっとで着きますよ」
「ヒゲさんは、もう帰らはんのですか」
「明日から仕事やしね、バイクの調子も良くないから、早めに帰りますわ」
「バイクの調子が悪いんですか、心配やねえ、気をつけて走って下さいね」
「おぉきにぃ、皆さんもね」
 再びバイクに跨り、軽く手を振りながら山を降りていった。


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2011.09.27 / Top↑
 岡山まで来るときに通った道をそのまま戻ることにした。いつエンジンが停まってしまうか分からない状況で高速道を走るのは不安が多いが、少しでも早く寮へ帰る方が良いのではないか、混雑して渋滞や停滞をしている一般国道で停まってしまう方がかえって危ないのではないかと思い、あえて都市部は高速道を走ることにした。とにかく途中で完全に停車してしまわないように祈るだけだ。
 岡山の市街から国道250号線を走っている時に、祖谷の山中で停車した時のように、アクセルを廻してもエンジンが動かなくなり突然停まってしまった。すぐにギアーをセコンドにして押しがけをしてみたが、エンジンは動かなかった。
「ああっ、ついに駄目になってしもうたかなあ」
 鷲羽山の展望台を降りてから一時間以上のあいだ走って来た。少し休憩してエンジンも休ませて冷やしたら再び動き出すかも知れない。バイクを安全な場所へ押して移動し、ヘルメットを脱いでバックミラーに掛けた。近くの自動販売機から缶コーヒーを買い、斜めに停められたバイクの横に腰を降ろして煙草に火を点けた。
 短くなった煙草を銜え、大きく煙を吸い込み、大きく吐き出した。半分は溜め息になっていただろう。そのまま自動販売機の近くに置かれた灰皿に向かい消して、缶コーヒーの残りを飲み干した。
 気を取り直し、スイッチを入れギアーをセコンドに、押し駆けをしてみた。大きな音を出してエンジンが廻った。ヘルメットを被り再出発となった。この先も何回かエンジンが停まり、その度に小休止をしてエンジンを冷やし、再び押し駆けをすると走った。
 そんなこと繰り返し、なんとかかんとか無事に京都まで戻ってきた。

  小説のような、旅のはじまり 十一章 完



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2011.09.30 / Top↑

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