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 夏樹にとって飛沢が持っているものの中でもう一つ、憧れのアイテムがあった。自転車である。十段変則、ドロップハンドル、車体は軽合金製。小学校のころはウインカー付のセミドロップハンドルの自転車が憧れの一品だったが、中学生になり、少しだけ大人に近づいたのだろう、飾りはなどいっさいついていない、本格的な自転車に目が向くようになった。
 夏樹も飾りはないが、五段変則のセミドロップハンドルの自転車を買ってもらい、どこへ行くのもこの自転車で出かけていった。半年後には近くの自転車店で見つけた、中古のドロップハンドルに小遣いを貯めて付け替えた。

 夏樹と飛沢の二人は、休みになると地図と,にぎりめしを持って遠方へと出かけていった。
「明日の日曜日はどこへ行こうか」
「そやなあ、この道をずっと北へ、行けるところまで行ってみようか」
「峠を越えて、となりの町まで行けたら、面白いなあ」
「昼までにこの分岐のところまで行けたら、このままぐるっと回って、こっちの国道まで来て帰ってこようか」
「ここまでが四十キロかあ、いつもより早い時間に出かけんと、昼までには着かれへんのとちゃうか」
「よし、明日は六時に出発しょうかあ」
「オッケー」

 市内はもとより、近隣町村まで足を伸ばし、できるだけ往きの道とは別の道で帰ってくるように地図とにらめっこしていた。

 飛沢の自転車と夏樹の自転車の明らかな格差があらわれるのは、登り坂の時だ。夏樹が自転車に乗るのをあきらめて押していく登り坂でも、飛沢はゆっくりだけれども、自転車に乗って登っていく。恐るべし十段変則の威力。

 飛沢は相変わらず、新しい友達を作りに走り回っていた。小学校のころからの友達や、多くの新しい同級生たちから慕われていた。それなのに、やすみの度に二人で遠方へ出かけ、毎日のように二人で帰宅部活動をしてくれた。
 サイクリング部があったら二人とも入部したんだけれど。



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2008.06.24 / Top↑

 飛沢、夏樹、野々口は、たまたま席が近かっただけだけれど、入学式の次の日からは旧知の友のように、テレビの番組のこと、アイドルのこと、部活のこと、授業のこと、そして女の子のことなどなど、他愛無い話に夢中になっていた。
 四月の末ごろには部活動に入るものは、みな入部届けを出した。野々口はサッカー部に入った。
 飛沢、夏樹、二人の部活動は帰宅部、もしくは遊部だった。ほとんど毎日のように二人で帰宅部活動をしていた。
 こうして夏樹と飛沢は運命的な出会いをして、ここから深み(?)にはまっていくこととなる。

 その当時の中学生にとって憧れのアイテムと言えば「ラジカセ」である。今では数千円でステレオのCDラジカセが売られているが、数十年前の中学生にとってのラジカセは、なかなか手には入りにくい高級品として、みなが憧れていた。それもステレオではなかった。

 その憧れの一品を飛沢が持っていた。それを聞きに行くのが目あてで、夏樹は彼の家に足しげく通った。
 そして、ビートルズを筆頭に洋楽にはまり、さまざまな音楽を聴くようになり、その延長として、ステレオ機材にもはまっていった。
 今は、ミニコンポが主流のようだが、その当時はアンプ、レコードプレイヤー、スピーカーなどを全て単品で購入して、アンプを中心に組み合わせて、音楽を聴く。ステレオといえばこのシステムコンポのことを言った。
 買うことなど夢のまた夢。電気店に行ってカタログを集めて、将来のシステムコンポ生活を構築していた。

 のちにレコードプレイヤーを買ったときに
「なんで音も出えへんプレイヤーなんか買うてんねん」
と、夏樹のオヤジはぼやいていた。これ一台で今のミニコンポを二台買っても、お釣りがくるほどの高価な品物だった。

 レンタルレコード店が巷に出始める十数年前の時代、レコードもそんなに多くは持っていなっかた。クラスの誰かがレコードを買えば、又貸しの連鎖が始まり、持ち主に帰ってくるころには、傷だらけとなった。数箇所の針飛びは当たり前となり、時には中に入っているライターと呼ばれる、アーティストの説明書のようなものが紛失していることもしばしばだった。(そういえば、CDにはそんなものはすくないなあ)

 飛沢の親父さんがステレオでテープに録音をした「ザ・ビートルズ 1926~1966」前期ヒット曲集、いわゆる『アカ版』の、一曲目、「ラブ・ミー・ドゥ」が初めて聴いたの「ビートルズ」の曲だった。
 「ビートルズ」の曲はとても新鮮で、英語の歌詞の意味などわかるはずは無いけれど、なんとなくいいなあ、心地よいなあと感じて、はまっていった。
 中学生になって初めて英語を習い、その一学期に聞いた「ビートルズ」の、聞こえてきた言葉を聞こえてきたとおりに、少し習った英語の知識を最大限に活用して、英語のように無茶苦茶に怒鳴り、わめくように、二人で歌っていた。(そう歌っているようにしか聞こえなかった)


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2008.06.21 / Top↑
「野々口って三年の時は四組やったなあ。おれは六年間ずっと六組やった」
「ほんで、四年からはT小や、家から近こうなったけど、友達が減ったさかいなあ」
「そしたら、おれが転校してくる前は、もっと人が多かったんや」
飛沢が話しかけてきた。

飛沢の前の学校は市内の中心部で、オフィスビルに囲まれ,明治のころに開校した古い学校で、卒業生には有名人も数人いるようだ。
「六組でも多いと思ったのに、九組もあったやなんて、すごいなあ」
飛沢は興味津々に二人から話を聞きだそうとしていた。
「そやなあ、同じ学年でも、おんなじクラスになったことのないやつも、いっぱいいるしなあ。名前が分からんのもいっぱいいるなあ」

 夏樹だけが六年間六組だったことに、少しだけコンプレックスを感じていた。
「なんかおれだけがずっと六組やったから、クラス替えのたんびにみんながどっかへ行ってしまうような思いになって、ちょっと寂しかった」
「おれらかて、四年からは三クラスになったから、すごく寂しい気持ちになったんや。早よう、中学校になったら、また、みんなに会えると思うて楽しみにしてた」
野々口が割って入った。
「おれが、転校してきたころは、ものすごく面白かった。今までは一クラスしかなかったし、急に人が増えて楽しかった」

 隣の町から、小学校入学の時に市内の学校に転校してきた飛沢には、本当に親しい友人はなく、U小学校に来た時は人がすごく多かったから、ここなら多くの友達ができると信じ、隣のクラス、その隣のクラスまで出かけては、声をかけて友達つくりに飛回っていた。おかけでかなりの人数の親しい友人ができた。二組だった飛沢は、二組はもちろん、三組、四組と順に活動範囲を広げていった。夏樹がいる六組までは足を運ぶ前に、多くの友人ができた。

「ほとんど初対面同士がこうやって親しくなったんやから、さっそく、今日の放課後に集まって遊ぼうよ」
飛沢が切り出した。



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2008.06.18 / Top↑
チャレンジ「小説のような・・・」

 『旅のはじまり 草創期』は①~⑤のような話です。今回からは、『思春期』 (ブログを始めて、1ヶ月少々。今後の話の展開に行き詰っていましたが、今日、思いつきました)に入ろうと思います。
 実は、「国内一人旅」のランキングに参加していますが。中学、高校時代はほとんど一人では旅をしていないのですが、いずれ『青春期(高校卒業後)』(これも、今日思いつきました)にはずっと一人旅です。このまま参加させていただきたいと思います。




 昔、都のあったところには、人口は百五十万人を超え、政令指定都市としていわゆる都会といわれているところだ。でもその多くは、中心部より離れたところに集まり、ドーナツ化現象といわれる、都会特有の人口分布で、昔からの都といわれていた地域には昼間の人口だけ多く、そこに暮らす人は少なかった。一部には統廃合が行われ、一学年に一クラスなどという、田舎の学校のようなところもあったようだ。

「おれ、飛沢て言うねん。よろしく」
窓側の席の前から二番目に座って、上半身だけを後ろ向きにして、いきなり話かけてきた。
「あっ、そうかあ」
[U小学校なんやけど、あんたはどこや]
「えっ、おれもやけど、六組やけど、お前みたいなんしらんなあ」
「そうかあ、名前はなんて言うの」
「夏樹」
「おれは、五年の時に転校してきて、二組やったから、わからへんかもなあ」
 三つの小学校が集まり、一つの中学校になった。U小学校だけでも六クラスもあった。H中学校の一年生は十一組まである、市内でも有数のマンモス校だ。
 新一年生だから席順は五十音順。だから、飛沢の後ろは夏樹だった。
 突然、うしろの席から、
「おれ、野々口、T小学校やねん。夏樹って一、二年のときから六組とちゃうか」
「あっ野々口て、あの野々口かぁ、どっかで見たことある思たんや」

 U小学校では夏樹たちが三年生までは九組まであった。学校の周りの田畑が次々に宅地化されて、人口が増えてきた。もちろん子供の数も増え続けていたので、教室が足りなくなってきていた。そこで、一部の地域を分割して、新しい学校を造り、U小学校の人数を減らしたのだ。そのために野々口は四年生からはT小学校に移った。
 それでも夏樹が六年生の時の一年生は、十四組までふくれあがり、校庭にはその場しのぎのプレハブの教室が立ち並び、運動場はかなり狭くなったのを覚えている。そのため運動会は各学年をクラス別に二つに分け、さらに赤、白、青の三組に分けて、二日間にわたり行われていた。
 生徒の半分は運動会、残り半分はいつも通りの授業をしていた、学校中に運動会の定番音楽が響き渡る中で、半分の生徒は普通に授業をしていた。
 ちなみに中学校も夏樹たちが卒業後に、分割された。いやその前にU小学校がもう一回分割された。




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2008.06.16 / Top↑

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