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 二年生になるとクラス替えがあり、飛沢と夏樹は別のクラスになった、校舎の棟も違い、帰宅部活動は少しおろそかになってしまった。回数は減ってしまったが、サイクリング同好会は健在である。
 
[ちはぁーす」(こんにちはーすの短縮形)
「一年坊、声が小さいなあ」
「ちはぁーーす」
「よおーし」
 サッカー部へ入った野々口が一年生の後輩に、挨拶の仕方が悪いことを、少し大きな声で叫んでいた。
「お前も偉くなったなあ」
「一年と二年では、天と地ぐらい違うさかいなあ。一年間、先輩になにを言われても我慢して、頑張ってきたんやから」
 とにかく上下関係が厳しい中学校で、野球部とサッカー部は特に先輩たちが威張っていた。素行もあまりよろしくはなかった。態度は他の部より、かなり大きかったが、部としての成績はあまりかんばしくなかったようだ。
「あんまり、下級生をいじめるなよ」
「いじめてんのと、ちゃうでぇ。礼儀を教えてんのやぁ」
「ほぉー。もうすぐ、大会やろ、がんばれよ」
「おぉ」
 野々口と夏樹も別のクラスになって、話すことが少なくなっていた。

「おう、おはよう」
「おう」
 二年生になって同じクラスになった赤川だ。かなりの鉄道マニアで、鉄道のことはとにかく詳しいのである。
 夏樹も蒸気機関車のことが好きで、少しは雑誌なども持っていたが、赤川とは比べものにならない知識の乏しさに恥ずかしくなり、赤川に感服してしまった。
 飛沢とはまた、違った形で興味を持った友となった。




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2008.06.27 / Top↑





「蒸気を見に、梅小路にいかへんか」
「行こかあ」
 梅小路とは京都にある、『梅小路蒸気機関車館』のことである。京都駅の西方にある機関区(蒸気機関車などを駐機させるところ)に動態保存(実際に動かせる状態で保存)静態保存(動かすことはできない)の蒸気機関車十数台を展示しているSLのテーマパークである。
 今で言うところの鉄道オタク「鉄チャン」の聖地のようなところだ。

 関西周辺では山陰本線が最後のSL走行区間であったと思う。(たぶん)それも夏樹たちが小学校六年生の時に廃止されてしまった。梅小路に行かないとSLを見ることはできなくなってしまった。(北海道など、一部にはまだ走っていた)

 赤川と夏樹はオヤジのカメラを持ち出し、近隣の国鉄に乗り、日帰り圏へミニ旅行をたびたび行っていた。どちらかというと、電車などの新しいものにはあまり興味がなく、SLを筆頭に古いものを追いかけていた。『ローカル線日帰り旅』といったところだろうか。

 小さな駅に降り立ち、駅周辺で思い思いの撮影ポイントを探し、一時間に数本しか来ない列車を待ち続け、鉄道雑誌に載っているようなショットを狙って、カメラを構える。相手は動くものだから、一回に切れるシャッターはせいぜい三度ぐらい。
 一本の列車が行ってしまえば、静寂の時がくるのだが、突然、けたたましい音とともに貨物列車が通り過ぎて行く。貨物列車は時刻表に載っていないので、不意をつかれてしまい、シャッターチャンスを逃してしまう。

「くっそう、貨物まで載ってる時刻表って売ってへんかなあ」

 『ローカル線日帰り旅』と平行してカメラを持ち出しよく行ったのが、廃止される市電の撮影だった。当時、市内を市電があちらこちらに走っていたが、モータリーゼイションの波には勝てず、他の都市同様に路面電車は邪魔者扱いされ、廃止への方向が決定付けられていた。
 平成の世の中では、エコ交通として、もてはやされたに違いない。時すでに遅し、残しておけばよかったのに、と思う。
 市内の各地を回り、さまざまな角度から市電をカメラに収めていた。

 さながら『鉄道研究会(鉄研)』の活動である。このときは会員二人だけれど。
 


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2008.06.30 / Top↑


 鉄道研究会の活動は地味なもので、休みの日に自転車を駆って、オヤジのカメラと質屋で買った安い三脚を担ぎ、廃止される市電の路線を、撮影のベストポイント(自分たちはそう思っている)を求めて西へ東へ、北へ南へと走り回る。
 ここぞと思った場所に自転車を止め、おもむろに三脚を立てて、カメラをセットする。カメラと言っても一眼レフなどではない、いわゆる『バカチョンカメラ』より少し良いものである。一応、ピンとはあわせる、露出は自動かな?
 フィルムを巻き上げ、市電が来るのをひたすら待つ。時刻表などはないから、ただ待つ。その当時のカラーフィルムは高価で、現像、焼付けも高かった。カメラに入っているのはもっぱら白黒フィルムだった。

「おっ、来た来た」
「反対側からも来たで、ちょうどすれ違いが撮れそうやなあ」
「あっ、いま目の前を自転車のオッサンが通りよった」
「おれもや、せっかくのシャッターチャンスやったのに」
ガードレールに腰をおろし、次がくるのをまた待つ。
      市電①

                              市電②


 市電は比較的、次々と走ってくるから、待ち時間はあまり苦にはならなかったが、『日帰りローカル線の旅』の時は列車が来る時間は分かっていても、本数が少なく、待ち時間が長いのである。

 山陰本線、京都、二条駅間の高架化記念に四年(?)振りに蒸気機関車が走った。その時などは見物人があまりにも多く押し寄せたために、京都駅の出発が大幅に遅れ、やきもきしたものだった。
                     丹波口


 もっとひどかったのは、東海道線京阪百年記念事業で京都、大阪間を蒸気機関車が走った時だった。淀川の鉄橋を通過するSLをねらって、二時間も前から場所を取り、三脚を立てて待っていた。通過する時間が近づくにつれて、見物人がどんどんと増え、膝上まであった雑草は全て踏み固められて、二時間前とはまるで違う景色になるほどに人でいっぱいになった。
 ベストポジションと思っていたのに、いつの間にか夏樹の前には多くの見物人が、見るからに立派で高そうなカメラに大きな望遠レンズを付けて三脚に立てた人だかりができていた。

 そして予定の通過時間が来た。十分、二十分、いっこうに黒い煙は見えてこない。結局一時間後に、吹田駅付近でカメラを構えた少年が、SLと接触して怪我(スクラップブックを検証したら、亡くなったとある)をしたためにその場所で停車し、中止になった。巡回中のパトカーのスピーカーから聞こえてきたのだ。
 三時間も何を待っていたのだろうか。

 後になって分かったことだが、事故検分が終わった後に、電気機関車に引かれて、京都駅まで走ってきたそうだ。煙も出さずに、陽も落ちてあたりが暗くなってからだったそうだ。



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2008.07.03 / Top↑




 夏樹と飛沢は回数こそ減ったが相変わらずサイクリング部と、帰宅部後に音楽鑑賞クラブも盛んに活動をしていた。ビートルズの『赤版、青版』の四枚のレコードに関しては、いま聴いている曲の次は何か、すぐに分かるようになっていた。要するに、こればかり聞いていたのだ。

                       ビートルズ

 夏休みが近づいたころ、飛沢と赤川が小学校の時に同じクラスだったことが分かり、飛沢を鉄道研究会に誘い込んだ。

「夏休みに日帰りではなく、泊りがけで少し遠いところへ活動範囲を広げへんか」
赤川が切り出した。
「ええなあ。どこへ行こうか」
「餘部鉄橋を見に行かへんか」
「東洋一の大きさを誇る餘部か」
「面白そうやなあ。行こ行こ」
新加入の飛沢も乗り気である。
さっそく、地図を広げて場所の確認。兵庫県の北部、日本海に面したところにある。
「そしたら、京都駅を始発の鈍行に乗って行こう」
「午前中には餘部に着く。鉄橋のすぐ横が駅になってるから、駅に野宿しょうか」
「それがええなあ。寝台特急の『出雲』も見られるなあ」

          餘部3

                          餘部2


夏樹の親父はこの辺りの出身である。餘部のことも知っている。
「あほか、おまえは。餘部には駅はあるけど、駅舎はない」
「駅舎のない駅なんかあるかあ」
「考えが甘いなあ。おばあちゃんのところよりも田舎や、単線の線路の横に、ホームだけがある。ベンチぐらいはあったかも知れへんなあ」
「ほんまかいなあ」
「夜になったら、でっかい蚊が出てきて、さされたら大変や」

 脅しに屈したわけではないが、親戚の知り合いの民宿に泊まることにした。駅からすぐのところにある民宿なのだが、鉄橋の高さが四十一メートル、そのすぐ横にホームはある。くねくねと山道を降りてくるのは、少々大変だった。

 京都駅五時三十二分発の浜田行きの鈍行に乗り、およそ六時間の旅に出かけた。目的地は兵庫県香住町(現香美町)餘部駅。乗車車両はもちろん最後尾の最後列に席を陣取り、時々、最後尾の乗降デッキに向かい、風を感じるのである。少々危険が伴うが。



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2008.07.05 / Top↑



 餘部の一つ手前の鎧駅はトンネルとトンネルの間にある、小さな漁村の駅で、目の前に漁港が広がる。この駅を出てからはのぼりが続き、列車の速度はあまりあがらない。四つ目のトンネルを抜けると、いきなり視界が開けて右手の眼下に日本海が広がり、鉄橋上を走行している。
 鉄橋が終わるとすぐにホームが始まる、夏樹の親父が言っていたとおりに単線の線路の横にホームだけあり、五人も座ればいっぱいになるベンチに、屋根だけはついていた。

「これじゃあテントでもなかったら野宿はむりやなあ」
「山と、海、他にはほんまに何にもないなあ」
「まずは時刻表を見て、何時に何が来るか調べよか」
真夏の抜けるような空と、海の青が目に眩しい。
「なんか音せえへんか」
「上りの特急が来たで」
「カメラ、カメラ」
カメラを出す前に、この駅に止まらない特急『あさしお』がけたたましい音とともに風神のように通り過ぎていった。鉄橋にさしかかると、レールと車輪とのぶつかり合う金属音に鉄橋本体へ伝わった金属音も加わり、ますますけたたましく轟音となって村中に響き渡り、駅とは反対のトンネル側の山にこだました音までも響き渡った。

「残念、間に合わんかった」
「また、すぐに来る」
飛沢がにこっと笑顔で言った。
「あまいなあ」
夏樹と赤川が同時に口を開いた
「特急は一日に五往復ぐらい、鈍行は一時間に二往復かな」
「ここは京都みたいに、いっつも電車や列車が走るところとは違うのや」
本線とは言っても、単線の非電化路線。典型的なローカル線である。

「そろそろ上りの鈍行が来るで」
「三脚にカメラをセットして、どこから撮ろかな」
上り列車はまず、この駅に止まり、乗降を終えると鉄橋へと入っていく。三人の人が降りたが、乗る人はいなかった。



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2008.07.07 / Top↑


 列車が行ってしまうと、次の列車がくるまでに三十分から一時間の時間待ちとなる。真夏の炎天下での時間待ちは、ただただ暑いだけだ。目の前に海が広がっていても、泳ぎに行く時間はない。高さが四十一メートルの鉄橋のすぐ横にある駅から民家のあるところまでは、くねくねの山道を降りるのに十分近くかかり、登るのにはそれ以上かかる。海に行っている間に次の列車が来てしまう。海水浴が目的でここへ来たのではない、鉄橋を走る列車を見て、写真に撮って、鉄道研究会の活動としてきているのだ。

 時間待ちをしている間に、列車の最後尾のデッキにいる時よりも危険な体験をすることができた?してしまった?

「あと一時間はなんの列車も来いひんから、鉄橋を渡ってみいひんか」
「よし、行ってみよ」
 線路の枕木部分より五十センチほど下がったところに、金網の通路がある。横は夏樹たちの背丈よりも高い位置まで金網の壁が立っている。もちろん、保線用である。足元は四十一メートル下の、家や道路、田んぼが見える。
 あとで聞いた話では、餘部の人たちが隣の鎧へ行くのに、本数の少ない列車を待つより線路を歩いていったほうが、国道を通るより近道なのだそうだ。トンネルの中も通路があり、列車が着た時のための退避用の横穴も、数十メートルおきにあるようだ。

 足元から下が丸見え状態での歩行は、少々ビビリながらではあるが、海からの爽やかな風を受けて、三人はようやく鎧駅側のトンネルに着いた。こちら側から山を降りる道はないから、来た金網の通路をまた戻るしかない。
 ちょうど鉄橋の中間地点あたりだろうか『ピィーー』と警笛が聞こえてきた。鎧駅側のトンネルを入る合図の警笛だ。
「おいおい、あと三十分は来ないはずやなかったんか」
「あっ、貨物やで、きっと」
「また、貨物か。走ったって駅までは辿り着けへんで」
「しゃあない、この壁にへばりついて、通り過ぎるのを待つしかないなあ」
 やがて貨物列車はトンネルを出る合図の警笛を鳴らし鉄橋に入ってきた。駅には止まらないが、鉄橋上は徐行して走る。とはいえ地上四十一メートルの金網の通路の上、巾は一メートル少々、壁にへばりついても目の前に車輪が通過していく。




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2008.07.09 / Top↑

『ガタンガタン!ガタンガタン!』


 目の前に貨車の車輪が轟音を響き渡らせ通り過ぎて行く。
 耳に入ってくるのは車輪の轟音と、その振動が鉄橋に伝わった金属音しか聞こえない。自分の声さえも遮断されてしまい、貨物列車が通り過ぎる数十秒間は、実際の経過時間よりかなり長く感じた。生きた心地がしないとは、このようなことを言うのかと思った。

「ああ、怖かった」
「しばらくは、来いひんと思うてたのに」
「貨車はいつ来るか分からんからな」
「けど、おもろかったなあ」
飛沢は少し感じ方違ったようだ。

 午後三時ごろからは駅から山道を降りて、国道を海とは反対方向へ歩き、鉄橋全体を写真に収めた。そのあとに親戚の知人の民宿に入った。

                             餘部5


 二階の部屋からも鉄橋が遠望でき、真夜中にも鉄橋を通る列車の音が『カタンカタン、カタンカタン』と聞こえてきた。鉄っちゃんにとっては、なんとも心地のよい音だろうか。
 星空のとてもきれいな夜に、かすかに山影がうかがえるが、ほとんど何も見えない暗闇の中を列車の『カタンカタン、カタンカタン』の音とともに室内灯の帯だけが右から左へ、左から右へ流れって行った。

                         餘部4


 中学校時代の泊りがけローカル線鉄道研究会の旅は今回のみだった。いまの中学生は友達同士での泊りがけ旅行などは許可されているのだろうか。
 時刻表と地図を広げて、わいわいと計画を練るところからが旅のはじまり、とても楽しい時間だった。

 この当時の愛視聴テレビは『遠くへ行きたい』だった。毎週、かかさず見ていた。いつかは自分も日本中を旅してみたいと思っていた。
 今でもオープニングの曲を聴くとあの頃のことを思い出し、どこにも行かなくなった、行けなくなったいまを憂いている。
 旅はまだまだ始まったばかり、これからどんどんとエスカレート(?)していく。


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2008.07.14 / Top↑

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