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 夏樹たちは高校三年生になり、飛沢と石田、赤川は受験モードに入り、鉄道研究会とサイクリング同好会は休部状態になった。
 夏樹や、安達たちは就職活動というより、仕事探しがはじまった。当時はそこそこに景気も良かったのか、求人はけっこうあったように思う。毎日のように職員室にいき、求人票を見に行った。
 就職組みは夏休み中に各企業へ、会社見学に足を運び、また学校へ行って違う会社の求人票を見ては会社見学に行った。

 夏樹は夏休み中にアルバイトに行っていた会社の紹介で、そこの取引先にアルバイト先の社長と一緒に見学に行った。
「夏樹君、せっかく、うちの会社の仕事を覚えたんやからこのまま、うちに居てくれへんか」
「ありがとうございます。でも、俺がやってみたいことは、いま紹介していただくような会社なんです」
「確かにあそこは、これから成長していくであろう会社やし、うちと共に頑張っておおきくなりたいと思ってる。けど、うちの方が給料はええで、少しやけどな」
「ほんとに、社長をはじめ皆さんには良くしていただきました。仕事だけではなく、いろんなことを教えていただきました、とても勉強になりました。もし、いま紹介していただく会社で不採用になったら、拾っていただけますか」
「そうかあ、分かった、その時はまかしとき」

 従業員が五十人ほどの小さな染物工場だけれど、社長はまだ三十四歳。従業員もほとんどが二十代の若い会社である。
 ひと通り工場を見学してから、社長と専務、総務部長、そしてアルバイト先の社長と夏樹の五人で、ほとんど雑談のような会話がはじまった。
「社長、ものすごうエエ青年やから、ほんまはうちに来てほしいんやけど、どうしてもお宅みたいなところで、仕事をしたいて言うから、何とか頼みますわ」
 アルバイト先の社長が夏樹のことを紹介した。

「川田はんがそう言うんやったら、何も問題ないやろ。ところで夏樹君やったかいなあ、なんかスポーツはしてたんか」
 染物工場の社長が大きな体を、ゆっくりと夏樹の方へ乗り出すように言った。
「いいえ、スポーツは好きですが、部活としては何もやってなかったです」
「そやそや、もし彼をお宅での採用が決まっても、うちの野球の試合の時は、しばらくの間は貸してや、Bチームのエースなんや」
 川田社長が微笑みながら言った。





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2008.12.15 / Top↑





「夏樹君、野球をやってたんか」
「いいえ、本格的にピッチャーをやったんは、川田さんのところが初めてなんです」
「社長、うちのBチームて言うたやろ。Aチームは経験者が多いし、大会でも上位を狙えるけど、Bチームは俺がキャプテンで一番を打つチームや、まだ一勝もしてなかったんやけどな、こないだの練習試合で彼が投げてくれたから、初めて勝ったんや」
 アルバイト先の社長が誇らしげに、初勝利を語った。川田社長がキャプテンである理由は分かるが、なぜ一番を打つのかは、単に一回でも多く打順が回ってくるからである。社長としての特権と言える。

「川田さん、勝ったって言うても、相手は五十才以上の人たちのチームやったし、毎回のようにフォアーボールでランナーを出してた、ノーコンピッチャーです」
「けど、球は速かったでえ、外野にはあんまり飛ばんかったしなあ」
「あっそうかあ、昼休みにわしとキャッチボールをしてくれる相手が出来そうやなあ」
「それって、採用決定ということですか」
 夏樹は心の中で小さく言った。

 夏休みが終り、二学期がはじまるとクラスの就職組たちには、採用試験の通知が届きはじめた。就職試験の解禁は十月一日だった。多くの就職を希望するものは、その日に試験を受けに行った。
 しかし、夏樹には採用試験の通知が来なかった。就職試験の解禁が十月一日とは言っても、十月になってから試験日の通知が届く企業もあった。
 夏樹はアルバイト先の社長に紹介してもらった会社だけに絞っていたから、毎日、試験の通知が届かないことに少しあせっていた。
 十月の十日ごろになると就職を希望するもの全員に、試験日の通知が届いた。夏樹の希望する会社からは、学校に求人が来ていないので、自分で会社へ電話して直接聞いた。

 電話の向こうには染物工場の総務部長が応対した。
「こないだのが面接試験ですから、あまり早くに採用通知を送ると何かと不都合なんで、そろそろ送りますから」
 夏樹はようやく気持ちが落ち着いた。



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2008.12.17 / Top↑





「ひさしぶり、夏樹やけど」
 二ヵ月ぶりぐらいだろうか、受験モードに入っていた飛沢に電話をかけた。
「勉強は捗ってるかあ。おれなあ、一応、就職決まったんや」
「そうか、おめでとさん。たまには会おうか、うちに来いよ、新しいレコードはないけど、俺もたまには息抜きや」
「よっしゃ、今すぐに行くわ」

 飛沢の家ではいつものように、ステレオで何かしらの音楽を聴きながら、他愛のない会話が続く。今日は、夏樹を音楽の世界に熱中させる切っ掛けになった、ザ・ビートルズの「1962~1966」いわゆる赤版を聴きながら、近況などを報告しあった。

「どうやあ勉強のほうは、受ける学校は決まってんのかあ」
「三つほど決まってる。本命のとこはちょっと難しいんやけど、今からでも何とか頑張ればいけるって言うてくれてる」
 飛沢は受験に向けて、家庭教師を頼んだのだ。その先生に難しいが、今からでも真剣に勉強をすれば大丈夫、と言われているようだ。
「夏樹も就職が決まってよかったなあ。どこにあるんや、そこの会社は」
「市内やけどなあ、寮があるんや、基本的には全員が寮に入るらしいは」
 その時ちょうどA面の最後の曲『キャント・バイ・ミー・ラヴ』が終り、レコードプレーヤーの針が自動で戻っていった。

 飛沢はレコードプレーヤーのターンテーブルに載っているレコードをA面からB面へ載せ換えて、静かにレコード針を置いた。
『ア・ハード・デイズ・ナイト』邦名は『ビートルズがやって来る!』がはじまった。

「寮に入るということは、家を出て行くことか、市内やのに寮に入るんか」
「ああ、親元を離れて、ある程度は自分自身で生活して、なんて言うのかなあ、こう言うの」
「自立か」
「そうそう自立した生活って言うやつよ」


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2008.12.19 / Top↑





 夏樹にとっての父親は、とにかく厳しく、怖い存在であった。箸の持ち方が悪いと言って怒られ、母親への口の利き方が悪いと言っては叱られていた。礼儀とかマナーにはとかく厳しく、ことあるごとに口うるさく叱責されていた。
「俺が夏樹の家に言ったときは、普通の親父さんやったけどなあ、時々つまらんギャグを飛ばす、おもろい人と言う感じやったけどなあ」
「いや、べつに親父が嫌で家を出るわけやないで、あくまでも自立するためや」

 礼儀やマナーにうるさく厳しい父親ではあるが、人生訓のようなものも度々聞かされていた。
「太い筋が一本通っていれば、他人が何を言おうが、自分の進む道をまっすぐに進め。それが人間や、それが男や」
 これが夏樹の父親の口癖だった。
 何事も自分自身で決めたことは信念を持ち、それに向かって進むためには、他人がいろんなことを言って来ることもあるだろうが、ぶれることなく突き進むことが必要なのだ。高校入試、就職、そのことによって家を出て寮に入ること、将来的な話になるが、故郷を離れ遠くの地に暮らすことになっても、反対されたことはない。
「お前が、自分自身で考えて決めたことに対しては、何も反対する理由はない。信じる道を進めばええから、ただ、中途半端なことはするなよ」
 こう言っていつも送り出してくれた。

「自立と言うても、家からはわりと近い所に会社と寮があるから、休みの日はすぐに帰れるしな」
「それはあかんは、何のために親元を離れて自立するんや、あんまり意味がないのとちゃうか、せめて一ヶ月に一回ぐらいにしとかんとなあ」
「やっぱり。まあ、行ってみんと、どうなるか分からへんけどなあ」

 ザ・ビートルズ「1962~1966」のA面最後の曲「イエスタデイ」が終り、レコードプレーヤーの針が自動で戻っていった。







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2008.12.22 / Top↑





「石田も同じ大学を受ける予定なんやろ」
「たまたまな、三つ受けるうちの二つやけどな、お互いに何処に入れるかは、結果次第やな。同じところに行くか、別々になるか」
「赤川はどこへ行こうとしてるんや、ぜんぜん連絡もないし、俺も電話を掛けたりしてへんなあ」
「俺も知らんわ」

「来年の二月の末までには何処の大学に行くか分かるんか」
「そやなあ、卒業式までには決まると思うわ」
「そしたら卒業式の次の日から、旅行に行かへんか」
「ええ、卒業式の次の日からか」
「卒業式が三月の一日で、俺の入社が三月の二十日なんや。そやから、あんまりゆっくりもしてられへんやろ」
「ゆっくりって何日の旅行をするつもりや」
「一週間ぐらい」
「一週間?何処へ行くんや」
「西本州一週」
「山陰ワイド周遊券て言うのがあってな、それを使うと安く、あっちこっちに行けるんや」

 夏樹は一人、密かに暖めていた計画を飛沢に話はじめた。
 山口県の長門市駅が自由周遊区間の西端で、東端は京都府の東舞鶴駅。その間の山口県、島根県、鳥取県、兵庫県,京都府の国鉄バス(現JRバス)路線を含めた国鉄全路線を自由に周遊できる切符である。
 この自由周遊区間内へは国鉄路線の、ほぼ何処からでもはいれる。そこまでの運賃を含んだ料金となる。また出発地から自由周遊区間までの路線上も、途中下車が自由だ。

 京都から山陽線を利用して途中の倉敷で途中下車し、小郡から山口線の津和野経由で山陰線に入ることが出来る。これで西本州を一周することが出来る。
 また、山陰ワイド周遊券には特典(?)がある。自由周遊区間内では特急の自由席が利用できる。一般的には、特急料金は乗車券の三十パーセントぐらいの料金がかかるが、周遊券を持っていれば特急料金なしで乗れる。

「おもしろそうやなあ、石田と赤川にも聞いて見るわ」
「大体の計画は俺が考えとくは、そやから勉強がんばってや。試験が終わったらみんなで詳しい計画を作ろうや」

 ザ・ビートルズ「1962~1966」のB面を聞き終わったら夏樹は帰ることにした。



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2008.12.24 / Top↑





 三月一日。各地の高校で卒業式が行われた。京都のこの時期としては珍しく大雪となった、夏樹の通う高校の校長先生はあいさつの中でこの大雪を見てこう言った、ような記憶がある。
「皆さんはこれから新たな道へ向かって行くのだけれど、今日の雪は君たちの行く先の困難を暗示しているのかも知れない。辛いことのほうが多いと思うが、がんばってください」
 この先の困難が、どんな困難なのか、今ならよくわかる。

 卒業式は午前中で終り、午後からは謝恩会となった。その当時、謝恩会と言ったか、言わないか、定かではない。
 頭脳明晰の生徒は少なく、ほとんどが就職することとなった夏樹たちのクラスメートは、いったん帰宅して学生服を脱ぎ、一張羅の私服に着替えて街に繰り出した。今の高校を卒業する若者よりも大人に憧れていたのだろうか、男はネクタイ姿の奴らが多かった。女子も学校では禁止されていた化粧を、いつの間に覚えたのか、それなりに大人っぽく変身してあらわれた。

 現在の謝恩会の主役は先生と親のようだが(いま住んでいる地域だけかな?)夏樹のクラスの謝恩会は先生と、生徒だけで宴会がはじまった。

「いやあ、色々なことが、事件があったけれど、全員の進路も決まり、とても楽しい三年間でした。みんな、ありがとう」
 三年間クラス替えもなく、三年間同じ担任の先生があいさつをした。
「乾杯」

 二年になるときに一人、三年になるときに一人、三月までのクラスに残った。事故と病だった。
 でもバレーボールの球技大会では三年連続優勝した。それなりにまとまっていたのだと思う。

「夏樹君、ありがとね、いっつもノートを写させてくれて、それと授業中の睡眠を快適にするために壁になってくれて、ほんとうにありがとう」
 泣きながら、時々言葉を詰まらせながら、三年の二学期の時に夏樹の後ろの席だった女子が大きく頭を下げて言った。(少し酔ったのかな、時効ですよね?)
 夏樹が居眠りしていると、『あんたがそうやって寝てたら、私が隠れへんやろ』って「おれの睡眠を邪魔しただろう」と心の中で言った



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2008.12.26 / Top↑





 昨夜の謝恩会は最後まで笑いが絶えない会となったが、終わる頃には女子の全員が大泣き状態で終宴、お開きとなった。夏樹は帰りのバスの中で具合が悪くなり、途中でいったん下車してしまった。

 それでも翌日の朝七時ごろに京都駅からの東海道線下り普通列車に乗り、三人の旅がはじまった。赤川は行けなくなってしまった。
 飛沢と、石田は二人とも同じ大学に行くことが決まった。二人とも本当に行きたかった大学に通うことは叶わなかったようだけれど、春からは大学生となる。

 いつもは山陰線での出発が多いのだけれど、今回は初めて東海道線、山陽線と進路を真西に向かう旅となった。
「窓を背にしての横一列シートの電車という奴は、どうもこの今ひとつ好きになれへんなあ」

 夏樹にとっての鉄道の旅、旅行は四人掛けのボックス席の列車で出かけるものなのだ。小さい頃から父親の郷里への鈍行列車に乗っての移動が、彼にとっての旅の原点だからである。いまでも通勤電車や、都会近郊の私鉄電車、新幹線にはあまり興味はなく、新幹線に乗っての移動は、あくまでも移動であって、旅の概念はない。

 ところが寝台特急に乗ることになった時などは、乗る何日も前から心が落ち着かず、何も見えない車窓を見ては心が踊り、夜中に駅に止まり目が覚めてしまったときなどは、何処の駅なのか確認しないと、再び布団に入ることが出来ないでいる。
 ましてや、何処の駅か確認できずに駅を離れてしまうと、ますます目が冴えてしまう。そんな時は時刻表を開き、時計を見て、今の駅が何処だったのかを調べてからでないと、ゆっくりと寝られないのである。

「それに、窓の外はビルや工場の建物しか見えへん。俺もしばらくは通学の延長みたいで、おもろないなあ」
 飛沢も夏樹の影響が大きく出てきているようだ。



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2008.12.29 / Top↑





 本文に入る前に私の拙い文章を読んでくださる皆さんへ一言、御礼申しあげます。
 今年の四月から始めましたブログも今回で百回となりました。正直こんなに続くとは思っていませんでした。読んでくださる方がいらっしゃるということが、励みとなりここまで来ることが出来ました。ありがとうございます。これからもよろしくお願いいたします。
 今回が偶然にも本年最後の更新となろうかと思います。皆様にとって来る平成二十一年がよい年でありますよう、お祈りしています。



 京都を出てからは通勤、通学の人並みが、乗り降りしていた。三人は高校の卒業式をきのう終えて、今日から休みだけれど、世間一般の人たちは年度末で忙しいのだ。おそらく。
 目の前には多くの人が立っているので、三人での会話もままならず、その人たちの間から、かいま見える車窓に何か面白いものがないか、きょろきょろとしたり、入れ替わり、立ち代りする乗客を観察したりするようになっていた。
 自分の座っているすぐ後ろに窓はあるが、幼稚園児のように窓に向かって膝を突き、吊革を持って立っている目の前の乗客に足の裏を見せ付けて座るわけには行かず、黙って向かいの窓の景色を見るでもなく、人間ウオッチングをするでもなく、手持ち無沙汰な状態が続いた。

 神戸を過ぎた頃からは、目の前に立つ人たちの間からは、海が頻繁に見えるようになった。須磨を過ぎた頃には乗客もだいぶ減り、立っている人はまばらになり、向かいの車窓も、よりはっきりと見えるようになった。また、ビルや工場群は減り海水浴が出来るような海岸線が見えるようになった。三人での会話も出来るようになり、ようやく旅の気分が出てきた。


「今日は倉敷まで行くんやろ」
 石田が口火を切って話し始めた。
「うん。昼ごろには着くで、山陽路で観光できるところと言えば、とりあえず倉敷の『美観地区』かなと思ってな」
「今回の旅行の計画は、石田と俺の進路がなかなか決まらんかったから、夏樹に全部まかせてしもうたなあ」
「なんにも気にせんでええねんで、俺は早ように就職先が決まって、学校にも行ったかて何をするわけでもなく、毎日が暇やったさかいになあ、ちょうどよかったんや」
「ほな、倉敷から後の予定をもう一回聞かせてくれへんか」
 石田は卒業式の前の日まで、合格発表後の手続きや、卒業生代表の答辞の準備で忙しく、旅の計画をまだ話していなかった。きょう会うのが今年になってから二回目だったのだ。

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2008.12.31 / Top↑



「石田はずっと忙しかったもんな。倉敷の次は津和野、萩、出雲、鳥取の三朝温泉のユースホステルに泊まって、帰る予定やけどな、餘部にもユースホステルがあるから、そこに最後に泊まってから帰ろうかな」
「おうあの鉄橋か、あの時はちょっと怖かったけど、おもしろかったなあ。石田も一回見といたほうがええで、あの鉄橋は」
「飛沢もだいぶ面白かったみたいやなあ、餘部のユースホステルはまだ予約をしてへんから、出雲に行ったあたりで考えようか」
「ユースホステルってそんなぎりぎりに予約しても大丈夫なんか」
 石田がいぶかるように聞いた。
「だいじょうーぶ」

 夏樹が数十年前に流行ったテレビドラマの台詞をまねて言った。
「予約で一杯やなかったらその日の昼頃までに、電話すれば泊まれるんや。夕飯が要らんのやったら突然行って、今日あいていますか、って行ってもかまへんみたいやで。石田も飛沢もユースホステルは初めてやったなあ」

 姫路で乗り換えて、普通列車に乗って、倉敷を目指す。
 倉敷の駅にはちょうど昼に着いた。大きな荷物を肩から担ぎ、駅前の観光案内図を三人で眺めて、『美観地区』へと向かった。

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 江戸幕府の直轄地「天領」だった倉敷は、米などの物資の集散地として栄え、商人たちが白壁の土蔵や屋敷を構えた。そんな屋敷が多く残る美観地区は「伝統的建造物群保存地区」としてその当時の面影を残している。

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「この白壁の建物は映画のセット見たいやなあ」
「ほんまやなあ、石田の家の近くに撮影所があったからなあ」
「本物やからセットよりは勿論立派やけど、遠目に見てたら、セットも本物見たいやで」
「小学校の一年生の時に一回だけ石田の家に遊びに行ったけど、裏の塀の向こうに変な建物が見えた記憶があるんや」
「あれは全部映画のセットなんや、今は縮小されて団地になったけどな。あの頃は家の二階から撮影が見えたんや」
「へえ、なんかおもしろそうやあ」
 飛沢が興味津々である。


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2009.01.06 / Top↑





「夜のシーンを撮影していてな、ちょんまげのヤクザ見たいな役の男の人と、芸者さんの格好をした女の人が、行ったり来たりしてるんや」
 石田が家の二階から見えた撮影現場のことを話しはじめた。
「その二人がすれ違う時に少しだけ会話をするみたいなんやけど、すれ違ったらすぐに『カット』って大きな声が聞こえて、その二人は元のところへ戻らはんねん、すると『ヨーイ』って聞こえると二人はさっきと同なじように歩き始めて、すれ違ったらまた『カット』や、たったそれだけやのに、何回も同なじことをやったはんねん」
「へー、なんか、しんきくさいなあ。その役者って有名な人か」
「いやあ、飛沢が知ってる人やないと思うで、俺も知らん人やからなあ」

「ちょっとしたシーンでも何回も何回も練習して、監督の気に入るまで何回も撮り直すみたいやなあ」
 夏樹がテレビで見た映画監督の話の受け売りを話したが、すぐに石田が別の映画の話をはじめた。

「中学校の帰り道に、いつもの商店街で見慣れん屋台や、出店がいっぱいならんでてな、いかにも古臭いねん。戦前に生きてたわけやないけど、テレビとかで見た昭和初期風の色遣いの店ばっかりで、うろうろと歩いてる人もその頃の服を着たはってな、何やってはんにゃろてみてたら『ハイどうぞ今のうちに通って下さい』ってジーパン穿いた若い兄ちゃんが言うから、そのまま通りすぎたけど、あれはセットやなあ」

「あっ、それ俺も見たなあ、学校の帰りにジーパンを穿いた兄ちゃんが、両手を広げて見物人をこれ以上前に行かんように制止しててな、そしたら突然『パンパンパン』て聞こえてきて、バスタオルみたいな布だけを巻いた女の人が裸足で走ってきたんや。その後ろから右手を鉄砲みたいにして『パンパンパン』って言いながら走って来る男の人がいたなあ」
「夏樹、それってほんまの話しかあ、なんでバスタオルだけを巻いた女の人が突然走ってくるんや」
 飛沢が信じられない話しだ、と夏樹を疑った。



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2009.01.07 / Top↑




 石田の家の裏は以前、映画の撮影所だった。夏樹の家の近くにも撮影所があった。今は敷地が大幅に縮小されて団地や、学校になってしまったが、当事はテレビドラマなども撮影されていて、人気の時代劇もこの辺りの撮影所で撮られていた。

「要するに映画か、ドラマの撮影をしてはったんよ」
 石田が話しを続けた。
「撮影のリハーサルをしてはったんやろな、本番では撮影用の鉄砲を持って本物みたいな音がするんやろけど、リハーサルやから手で鉄砲の格好だけして『パンパンパン』って言いながら出てきはたんやで」
「そうそう、『パンパンパン』って言いながら男の人が走って来たと思ったら、直ぐにニコニコと笑いながら布だけを巻いた女の人と二人で元のビルの中へ戻って行ったわ」
 夏樹も負けずに話しはじめた。
「そしたら、そのジーパンを穿いた若い兄ちゃんが広げてた両手を下ろして『すんません、今のうちに通って下さい』って言うから、セットの店の間を通って家に帰った」
「その後の本番は見いひんかったんか」
「ああ、本番がいつ始まるかわからんさかいなあ」
「なんでや、撮影なんか見たことないで、見てみたかったなあ」
「飛沢は五年生の時にココへ引越して来たんやったかいなあ、それに撮影所のある所らへんとは反対の方に家があるから、撮影なんか見たことないか」
「ああ、見たことない」
「いま話した商店街や、近くのお寺や神社で、よく撮影をしてるところを見たことがあるから、あんまり珍しいことはないからなあ。それにリハーサルの後の本番て、なかなか始まらへんしなあ、石田は家から見えたんやから俺より珍しくはないやろ」
「いや、俺は撮影を見るのは好きやった。小学校の卒業文集に将来の夢は『映画監督』って書いたんや」
「ほんまかいなあ」
「いまは、それほどでもないけど、完全に諦めたわけやないで」
「知らんかったなあ」
「映画ダイジェストの番組や、毎日のようにテレビでやってる映画ばっかり見てるんや、いま流行のアイドルの出てくる番組なんか、弟が見てるのを見るともなく見てるぐらいで、ほとんど見ることないで」



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2009.01.09 / Top↑





 石田は小さい頃から映画の撮影現場を目の前で見てきて、その世界への思いをなんとなく抱いていた。しかし、ちょうど小学校の高学年の頃からだろうか、映画産業が斜陽してきていた。そして会社としての縮小を余儀なくされたのか、敷地の転売により団地や、学校になっていった。ついには倒産してしまった会社もあった。テレビの普及が大きな原因だったようだ。
 石田の家の裏の撮影用のセットもなくなり、中学のころに十階建てのマンションが二棟建った。おかげで日当たりが悪くなったと、石田の母親がよくぼやいていたようだ。

「相変わらず毎日のようにテレビでやってる映画は見てるけど、映画監督への思いは少しづつ薄れてきたなあ」
「俺もテレビでやってる映画は時々見てるけど、創ろうと思ったことはないなあ」
 夏樹も映画を見るのは好きだが、映画館に行って見ることは少なかった。
「俺はアメリカのドイツ軍相手の戦争映画をよく見たなあ。戦争映画やのに出てくるアメリカ軍の兵士に笑顔が多いやろ、あれが不思議でもあり、それがアメリカなんや見たいに勝手に納得してたなあ」
「大脱走なんか最高やったなあ、実話やて聞いて俺も驚いたわ」

 日本の軍隊のことを映画やテレビドラマで見ると、とにかく怖いとか、恐ろしいとか、時には怒りを感じる時がある。上官が常に絶対的存在で、白いものを黒いと言っても部下は逆らうことが出来ず、少しのミスや、規律の乱れがあると鉄拳が飛んでくる。時には軍人用の分厚いブーツのそこで殴られることもあったと、軍隊経験の有る国語の先生に聞かされたこともあった。うまくは語れないが、日本の戦前の軍国主義的な思想は理解できない。

「日本軍の上官が『天皇のために、国のために命を捧げろ』なんて言う台詞がよくあるやろ、そう言うのを聴くと『そういうお前が先に捧げろ。率先して身を奉じて後に続く者への手本として』って言いたくなるねん」
「あの頃はやっぱり国中がおかしくなってたのかもしれへんなあ」
「国のためにみんなが命を捧げて、誰もいなくなったら国として成り立たへんのになあ。全員が命を絶つまで戦い続けるみたいなことも言うもんなあ」
 飛沢も話の加わってきた。



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2009.01.12 / Top↑




 良い戦争なんかない、どんな戦争も悪いことなのだけれど、この頃のアメリカ製の第二次世界大戦、特にドイツ軍相手の戦いは、悪のドイツ軍に対して、勧善懲悪のアメリカ軍を中心にした連合国軍といった表現だった。子供の頃の夏樹にとっては怪獣相手のウルトラマンのような存在で、娯楽スペクタクル映画として、楽しんでいた。
 のちのベトナムでの戦いを映画化されたものは、まったく別のものになっていた、日本軍の怖さとは違った怖さがあったように思う。

「何があっても上官の言うことが絶対で、突撃の一声と共に多くの兵士が死んでいった日本軍に対して、上官に逆らうかのように意見をする兵士に、耳を傾け、上官が先頭に立ち、敵に向かうアメリカ軍。大きな違いを感じたなあ。そやからアメリカの戦争映画は、戦争というかたちのスペクタクルなんやで」
 夏樹は一人よがりのように頷いた。
「俺もそう思うわ、あんな国と戦争なんかしたかて、勝てるわけないと思った」
 石田がとてもまじめな顔つきで言った。

「けど、映画って面白そうやなあ、俺はあんまり見ることないさかいに、お前らの話がすごく興味津々やねん」
 飛沢はいろんなことにいつも興味津々である。

「そやから、ここの川なんかカメラカットの仕方では時代劇にも、昭和初期の街角にも変身すると思わへんか」
 石田が両手の親指と人差し指を直角に伸ばして四角を作り、カメラマンが良いアングルを探すような手の動きを見せた。
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                                     倉敷3

「なるほどな、切り取り方が違うと江戸時代にも、大正ロマンにもなるちゅうことか」
「飛沢、大正ロマンてなんや」
「夏樹君、もっちょと歴史の勉強をしたまえ」
「あっっ、すんません、ぱーでんねん」

「やっぱり映画はおもしろいで。撮影所の近くにいる人間としての別の楽しみ方が俺にはあるねん」
 石田が得意げに話しはじめた。




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2009.01.14 / Top↑






「ロケをするのに、近くの神社、寺、ビル、商店街なんかをうまく利用して、設定通りの場所や、建物にしてしまうことがある。江戸の郊外の川の設定なんやけど、京都の川を使って見たり、九州にある駅の風景を京都郊外の駅の駅名を変えて撮ったりすることがあるんや」
「そんなん近所の人が見たら、すぐにばれてしまうやんか」
 飛沢が言った。

「その通り、江戸の町外れの川の設定のはずやのに、中学校の近くの川やったり、東京が舞台の話しやのに、俺んちの近くを走る電車が出てきたりする。ストーリーを楽しみながら、使われている場所や建物、電車なんかが設定の場所とは違うところのが出てくる、それを発見するのが面白いんや」
「石田の家の近くには三つか、四つの撮影所があったさかいなあ、安く仕上げるには、近くでそれらしく見せてロケするんやろなあ」

「夏樹も映画やテレビのドラマを見てて、そういうのなかったか」
「たしか東京の撮影所を舞台にした若手役者の青春物語みたいな話で、けがをした役者が運びこまれた病院が、中学校の近くの病院で、看板の病院名がまったく違う名前で、建物の前を走り過ぎた電車が、間違いなく本物の病院の前を走ってる電車やったのを見たことがあるわ」
「俺も見たのを覚えてるは、病院と電車だけやなくて、他にもいろんなシーンに俺の家の近くでロケをしたんやって言うのがあったなあ」
「石田、今度その映画を教えてくれよ、見てみたいなあ、ほんでどこでどの場所を使ったのか聞かせてぇな」
「飛沢、それは無理や、劇場ではやってへんし、テレビでも先月やったばっかりやから」
「そうかあ、残念」

 ようやくレンタルレコード店が出来はじめた頃である。レンタルビデオ店どころか、家庭用ビデオデッキを持っている人は、まだ珍しい時代である。




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2009.01.19 / Top↑





「おっと、もうこんな時間やんか、そろそろユースホステルに行こうか」
「夏樹、ここから近いんか」
「ユースホステルのハンドブックの地図によるとやなあ、歩いたら二十分ぐらいかな」
「それにしても、女子大生風の女が多いと思わへんか」
「ディスカバー・ジャパンやろ、何年前かなあ国鉄のキャンペーンで、女の人でも気軽に旅行をっていうやつやろ、女性誌を片手にいわゆる『アンノン族』と言う女の人たちが全国の観光地へ押し寄せているみたいやなあ」

 温泉地や有名なお寺、名所、旧跡よりも、軽井沢や、京都、倉敷、清里、または勝手にと言えば少し御幣があるが、全国に小京都と名乗るところが多くある。そんな女性向けの少しおしゃれな、一部は意図的に創られたような観光地に人気があったようだ。
 女が集まれば、男も集まる。そうすれば観光地として賑わい、いろんなところが儲かって、潤っていったようだ。

 思い荷物を担ぎ、倉敷美観地区から少し山手の方へ歩いてユースホステルへと向かった。

「ホテルのような建物やないけど、二食付で三千円で泊まれんのやから、高校生の貧乏旅行には最適やろ」
「いやあ建物なんか別にかまへん、美味しいものが食えればそれでええんねんけどなあ」
 飛沢は以外に食通である。
「それは無理や、二食付いて三千円で泊まれるところに、食いものを期待できひんやろ」
「やっぱりなあ、まあ腹一杯食えればええは」
「とりあえず、ご飯はお代り自由やから、思いっきり食べてくださいな」


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2009.01.21 / Top↑





 倉敷ユースホステルは、美観地区から少し山の手にある、ユースホステル協会直営の施設だ。直営のユースホステルは規則が厳しいと言われているが、それぞれのペアレント(ユースホステルの運営者)の考え方、やり方で様々である。

「ユースホステルって、二段ベッドなんや、おれの家では布団やからベッドになんか寝たことないねん」
 石田が珍しいものを見るように、直ぐに上の段へと上がって行った。
「俺は弟と二人、二段ベッドやから珍しくはないけど、家では下の段やから今日は上に寝よかな」
「飛沢君、早い者勝ちやから空いているところはどこでも自由にどうぞ。荷物が置いてないところは空いているから、俺は下の段にするは、こないだ上に寝たんやけど、なんか窮屈でなあ、あきまへんわ」
 夏樹は平均よりは身長が大きいほうである。以前に泊まったユースホステルで二段ベッドの上に寝た時に、窮屈な思いをしたのだ。
石田と、飛沢は今日がユースホステルに泊まるのが初めてである。

「民宿と違って、あんまり食いものは期待せんように。夕食にはまだ時間があるから先に風呂に入ろうや」
「そやな、そうしようか。ところで夕食の後にミーティングちゅうのはやらはんのか、知らん人なんかと話したりするのは、苦手なんやけどなあ」
 石田はいつも少々やさしい話し方である。生まれ持った性格なのであろうか。
「わからんなあ、それぞれやさかいに、ここはやるのかなあ。けど面白いで、知らん人って言っても、年も出身も仕事も、もちろん仕事での地位も何も関係ないんや、目的は同じ旅人やから。今日だけの同宿者同士で情報交換したり、お国のことを話したり、ゲームや歌を歌ったり、楽しいで、いろんな人がいたはるさかいなあ」
 それでも石田は苦手であると言わんばかりに、目を細めた。

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2009.01.23 / Top↑





 三人は風呂から上がり、食堂へ向かった。
「なんか普通のとんかつ定食みたいやなあ」
 キャベツの千切りを軽く盛り付けた横に、薄くスライスされたきゅうりが三枚添えられ、メインに一口サイズにきられた大きなとんかつが置かれている皿が一つ、味噌汁椀と、御飯の入った茶碗と、香の物が入った小鉢を、アルミ製のトレーに載せてテーブルに向かった。
「おれ、お茶を持ってくるは」
 石田が自分のトレーをテーブルに置き、お茶の入ったポットのところへ行った。
「今日は満室やろか、テーブルもほとんどいっぱいやなあ」
 飛沢が食堂の全体をみわたして言った。
「ここのユースホステルは定員が八十人やから、これだけの人がここにいるちゅうことは、ほぼ満室やろなあ」
 大学生ぐらいの年齢の小グループが一番多く見られる。中には年配のご夫婦や、外国人の人もいるようだ。

「高校生ぐらいの年の人は少ないみたいやな」
 夏樹が食堂の中を何回も見渡して言った。
「やっぱり食事の後でミーティングっちゅうのをやらはんのかなあ」
「石田君、何を心配してんの、ミーティングといってもそんな難しいことをするわけやないさかい、それにこれだけ多くの人が泊まってるときは、何もせえへんかもしれへんで。そんな時はたぶん、あっちこっちで自然発生的に人が集まって、いろんなことをするんとちゃうかなあ」
 右手に持った箸を口元に近いところで止めて、夏樹が言った。

「なあ夏樹、明日は津和野まで行くんやろ、何時間ぐらい電車に乗るんや」
 飛沢が言った。
「朝の九時ごろに倉敷駅を出発して、津和野に着くのは午後の三時ごろかな」
「一日中、電車に乗ってなあかんなあ」
「それもまた旅、楽しいで」



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2009.01.26 / Top↑





 飛沢と夏樹は会話も少なく、淡々と食事を済ませた。石田だけは、どことなく落ち着きがなく、食堂のあちらこちらを見ていた。どうしても食後のミーティングが気になるらしい。こんな対人恐怖症のようなことでは映画監督など、夢のまた夢である。

「石田、どうしたんや、さっきからキョロキョロして、不審者見たいやで」
「夏樹、変なこと言うなよ。こんなとこに泊まるのは初めてやさかいに、いろんなことが珍しいねん」
「別にそんな珍しいものは何もないやろ、この椅子かて普通のパイプ椅子やし、この部屋の造りやインテリアも地味な感じやし、何が珍しいんや」
「いやあ、いろんな人がいるんやなと思ってな、いままでに旅行と言えば、修学旅行と去年の夏に民宿に泊まった海水浴ぐらいやからなあ」

 石田は面識のない人と一つの場所に泊まって、これからこの人たちと会話をすることになるかもしれない、と言うことを彼なりに受け入れようとしているようだ。
 初めての人と話しをすることは恥ずかしい、面倒くさい、といった煩わしい思いをどうすれば払拭できるか、周りにいる人たちを観察することで、何かを得ることが出来ないか、石田は自分自身に問いかけていた。

「ほら、あそこのグループ、二十人ぐらいの大学生やと思うんやけど、男の人も女のも人いたはるんやけど、何のグループなんやろなあ。部活の合宿やろか。五,六人なら仲良しグループなんやろうけど」
「あの人たちは二十人のグループやないと思うで。少人数のグループがいくつか集まったんとちゃうかなあ。たまたま同じテーブルに座ったから、誰かがとなりに座った人に『どこから来たんですか』とか聞いたりして会話が始まったんとちゃうかなあ。もしくは、男同士、女同士が同じ部屋でその時に『こんにちは』の一言から会話が始まって、そのまま同じテーブルで食事をしてはるかもしれへんで」
「なるほどな、そんな簡単に知り合えて会話が出来るもんなんや」
「外国人なら言葉も通じひんこともあるけど、同じ日本人やもん、多少の分からん方言の人もいるかもしれへんけど、何も問題なく会話できるし、そういうことを嫌いな人は最初からユースホステルには泊まりに来いひんから」





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2009.01.28 / Top↑





 石田は柔道をやっていたことがあるからか、ガッチリとした体型である。いつもならどんぶり飯を二杯は食べるのに、今日は普通の飯茶碗に一杯しか食べなかった。よほどの対人恐怖症だというのか。
「石田、お代わりせんでええのんか」
「ああ、食欲ないねん」
「そうか、ほな、ごっつぉさんでした。食器を持っていって部屋にもどうろか」
 夏樹が食べ終わった食器の載ったトレーを持って立ち上がった。 それにつられて飛沢と石田も立ち上がった。

 ユースホステルには食堂兼、談話室兼、ミーティングルームといった部屋で、食事後にはおもいおもいに話しをしたり、トランプゲームをしたりしている人たちの輪が出来てくる。その部屋に立派なオーディオが置いてあるところは、何回か見たことがあるが、テレビは置いていない。もちろん部屋にもテレビは置いていない。

 後々の話になるが、ホテルの一部をユースホステルとして運営しているところに泊まったときは、部屋にテレビが置いてあった。旧本館の古い建物の端っこの方の部屋だったが、以前はホテルの部屋として使っていたのだろうと思われる。二時間で百円だった。

 部屋に戻った夏樹は、時刻表を開き明日の電車時間の確認をはじめた。朝から夕刻まで、ずっと電車に乗りっぱなしになる。一つの電車に乗り間違えると、乗り換えの連絡が上手くいかず、目的地に着くのが大幅に遅くなってしまうこともある。とりあえず、倉敷駅で何時の電車に乗るか、そこが基準になる。

「石田君、元気ないなあ、どないしたんや」
「飛沢はえらい元気やなあ」
「さっきの飯のときにな、お前の後ろの方のテーブルに座ってた女の子が、けっこう可愛かったんや。女の子四人のグループみたいなんやけど、あの子らと後でトランプでもしませんか、とか言って、お近づきになれへんかなあと思うてなあ」
「それで飯の時に俺の方ばっかり見てたんか」
「えっ、そんなに可愛い子やったか、気がつかへんかったなあ」
 夏樹が、時刻表を閉じながら話しに入ってきた。


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2009.01.30 / Top↑





 飛沢が微笑みながら、夏樹の方へ向き直り話しを続けた。
「石田の隣にいたから、お前も気がつかへんかったんやな、たぶん大学生やろなあ、少し化粧をしてはったから俺たちより年は上とちゃうかなあ」
「よし、直ぐに食堂に行ってその人たちを探そう」
 夏樹と、飛沢がすっくと立ち上がり、部屋を出て行った。ところが石田は座って
いた自分のベッドにそのまま寝転がった。

 食堂では皆が食事を終えて、おもいおもいに話しをしたり、トランプゲームをしたりしていた。
 この当事、どこのユースホステルでもトランプゲームをやる時は『大富豪』が主流であった。地方によっては『大貧民』と言うらしいが、ルールも地方や、グループによって多小違うようだ。しかし、この違いが話しのきっかけとなり、会話が盛り上がっていくこともある。

「ずいぶん多くの人が居たはるなあ。なんか泊まってはる人のほとんどが、ここに集まってはるみたいやな」
「飛沢、どの人や、その可愛い人たちは」
 二人は食堂中をきょろきょろと見渡し、まるで不審者のような行動をしていた。
「いてないなあ。まだ、部屋にいたはんのやろか」
「まあ、しゃあないわ。とりあえずここが空いてるから、座ろうか」
「今日はミーティングちゅうのはないのかいなあ」
「ないかも知れへんなあ、ミーティングをせんでも、自主的に皆さんが集まって本来のミーティングの目的がはたされているから、あえてしなくてもええのやと思うわ」

「あれ、石田はどうしんたんやろ」
 ようやく飛沢が気づいた。石田は部屋で一人自分のベッドに寝ているはずだった。
「あいつ、そんなに知らん人と話をするのが苦手なんやろか」
「飛沢は小学校のころ、あいつと同じクラスやったんやろ、どうやったんや」
「あのころは、まあ、周りには知ってる人ばっかりで、そんなに初対面の人と話しをすることは、なかったしなあ」
「お前が転校して来て、あいつとはじめて話をした時は、どうやったん」
「五年生の一学期に転校してきたけど、そう言えば石田と初めて話しをしたのは、夏休みが終わってからやったなあ」



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2009.02.02 / Top↑





 飛沢と夏樹はお互いの顔を見ないで会話をしていた。飛沢が見かけたと言う可愛い女の子を捜して、食堂の隅から隅までを見渡していた。見落として気がつかなかったのか、部屋から出てきてこの食堂に向かっているのではないか、と入り口付近も見ていた。

 二人は石田のことも忘れて、別の大学生のグループと『大富豪』をやることになり、消灯時間まで食堂にいた。部屋に戻る時間になったが、結局お目当ての女の子は現れなかった。
「面白い人たちやったなあ、特にあの髭がもじゃもじゃのヒッピーみたいな男の人は最高におもろかった」
 飛沢が食堂から部屋へ向かい、歩きながら言った。
「東京の大学に行ってるけど、出身は福島って言てはったなあ」
「夏樹、福島やのうて、栃木ってゆうてなかったか」
「そうやったかなあ、どっちにしても関西弁でもなく、標準語でもなく、初めて耳にする方言やったなあ」
「あの人は大学生にしとくのはもったいない、ヨシモトに紹介したろか、売れると思うなあ」
 頭を大きく三回、上下させて、そのとうりだと言わんばかりに、飛沢の方に向き直り夏樹が頷いた。

 部屋に戻ると、石田はすでに熟睡しているようだった。飛沢は石田を起して、食堂で知り合った面白い大学生の人たちのことを教えてやろうと言ったが、夏樹が明日にしようと言って止めた。この部屋の他の宿泊者はみんな、寝る準備をしていた。
「飛沢、今日はもう寝よう、続きは明日ということで」
「そやな、そうしようか」
 二人は歯ブラシを持って、洗面所に向かった。



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2009.02.04 / Top↑





 ユースホステルの朝は早い。朝食が七時か七時半ごろから始まり、八時には宿泊者のほとんどが出発する。
 倉敷のこの日の朝も、六時ごろからあちらこちらで、寝床のベッドから、洗面所へ向かう足音が聞こえてくる。

「ええ天気やなあ」
 石田が窓のカーテンを少し開けて言った。
「おおう、おはよう」
 夏樹が朝の第一声を発した。
「飛沢は起きたか」
「おはよう、何時や」
 飛沢が少し寝ぼけた様子で言った。
「あれ、まだ六時やんか、こんなに早く起きることはあんまりないなあ」
 石田は夕食後に部屋へ戻り、そのまま眠ってしまった。そのためかいつもより早く目が覚めたようだ。
「飛沢、見てみ快晴やで、空は真っ青や」
「お前だけ早くに寝たから、朝はようから元気なんやな」
「こんなに気持ちのええ朝は、久しぶりやなあ」
「きのうの夜に、おもろいことがあったんやけど、教えたらへんぞ、なあ夏樹」
「そうやなあ。混む前に顔を洗ってこうようか」

 飛沢と夏樹はまだ寝ぼけ眼(まなこ)で起き上がり、ベッドの脇に干しておいたタオルを持って洗面所へ向かった。
 朝食はご飯に味噌汁、焼き魚に香のもの、といった、一般的には和食が多い。時にはパックの牛乳やヤクルトが着くこともある。主食がパンのところもあった。




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2009.02.06 / Top↑







「夏樹、窓際の四人組やわ、俺がきのう言ってたのは」
「ふうん、そうか。お前の好みのタイプは、ああいう感じなんや」
「可愛いと思わへんか」
「うん、まあ」
 女の子の好みのタイプは人それぞれ、この話しはこのあたりで終り。

 ユースホステルを出発する時に、昨夜『大富豪』をやった大学生グループと一緒になった。髭を蓄えたヒッピー風の男が夏樹たちに気がつき、声を掛けてきた。
「おはよう、関西ボーイズ君」
 関西弁を話す高校生だから「関西ボーイズ」と呼ばれていた。夏樹と飛沢は二人でワンセット扱いだったのだ。
「あっ、髭親父。おはようさんです。今日はどちらまで行かはりまんの」
 夏樹がわざとらしく変な関西弁で話した。
「お前はやっぱりおもしろい。是非ともヨシモトに行きなさい。売れないから」
「なんですかそれ。髭さんこそ行ったほうがええですよ」
 みんなで大いに笑い、語りあい、僅かな時間だけれど楽しく過ごすことが出来た。名残惜しいがお互いのカメラで記念撮影をして別れた。

 おそらく二度と会うことはないだろうけれど、記憶の中にはいつまでも想い出として残っていく。そんな想い出を、少しでも多く作っていける旅にしたい。




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2009.02.07 / Top↑






 西本州一週、いわゆる卒業旅行は二日目となった。倉敷駅から山陽本線の下り普通列車に乗り、岩国で一度乗り換えて小郡まで行く。小郡からは津和野線に乗り二日目の目的地、津和野へ向かう。
 倉敷駅を九時過ぎの電車に乗り、津和野に着くのは午後五時を過ぎる、乗り換えに多くの時間はなく、ほとんど電車に乗りっぱなしの一日となった。かなりの強行軍ではある。日程的にはそんなに無理をしなくても、津和野までの間にもう一箇所ぐらい入れても良かったのだけれど、列車に乗ってユースホステルに泊まるだけの旅行ではない、一応は観光もすると考えると、広島では倉敷と近すぎる、と言って、津和野までの間に行って見たいような有名な観光地も思い当たらず、倉敷から津和野までの強行軍となった。

「一日中、電車に乗ってるとさすがに疲れるなあ」
 津和野の駅に降り立ち、大きな荷物を肩へ担ぎ上げながら飛沢が言った。
 直ぐ後ろを夏樹が「よいしょっと」こちらも大きな荷物を肩へ担ぎ上げた。
 なぜか石田は少しうつむき加減に遅れて歩いていた。それを見て夏樹が声を掛けた。
「石田はまだ、ご機嫌斜めなんか」
「いいや、そんなことはないで。一人、先に寝てしもたんやさかいに、しゃあないやんか。きのうの夜に俺を起してくれへんからって、怒ってるわけやないで」
 昨夜の倉敷ユースホステルで、大学生グループたちとトランプゲーム『大富豪』をやって、楽しかったことを、電車の中で飛沢が石田に聞かせたのだ。
 その話しを聞いた時の石田は少し不機嫌だった。しかし、知らない初対面の人たちとのミーティングを、不安で、出来ればやりたくないと言っていた石田のことを思い、知らせずに黙って寝かせておいたのだと、夏樹が諭すように聞かせた。

「怒ってへんのやったら、はよう来いよ。バスに乗り遅れるで」
 津和野の駅からはバスに十分ほど乗り、ユースホステルへと向かう。
「今日のユースホステルは個人の住宅をユースホステルとして運営してるって、ガイドブックには書いてあったんや。定員も昨日の半分ほどなんやけど、どんなとこやろなあ」



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2009.02.09 / Top↑





 津和野駅からバスに乗り、十分ほどの停留所で降りた。そこからは歩いて直ぐのところに津和野ユースホステルはある。周りには商店が並び、民家も多く、ちょっと田舎の中心地と言った趣きのところだ。旅行者が頻繁に歩くようなところではなさそうだ。
「ここやなあ、津和野ユースホステルて書いてあるで」
 夏樹が言った。その建物を見て飛沢が「これって普通の家やんか」と言った。確かに一般の民家のようであるが、少々立派な民家である。昔は何かの商いをしていた大店の家か、それとも武家の家だったのか、白い壁が印象的だ。
 普通の玄関を入り、中も普通の民家と殆ど変わりのない造りだった

「なんか、民家としては大きい家やな、中庭があったりするんやけど」
 夏樹が大きな荷物を担いで板張りの廊下を進んだ。
 畳の部屋が廊下の両側にあり、その置くには中庭があった。部屋への入り口は障子一枚だけで、宿泊施設とは思えないぐらいに普通の古い民家である。六畳の部屋の真ん中には電気炬燵が置いてあった。
 
「今日はベッドやのうて畳の上に布団を敷いて寝るんやな」
 石田が少し安堵した様子で言った。
 暦では弥生三月、春だけれど外はまだまだ寒い、早速に炬燵の電気を入れて、三人は潜り込んだ。

 炬燵の赤外線部分に両手をかざしながら、少し猫背になっている夏樹が、部屋の中をゆっくりと見渡しながら話しはじめた。
「ユースホステルに泊まるのはここが十軒目かな、こんなところは初めてやな。なんか親戚の家に遊びに来たみたいやなあ」
「それにしても静かやなあ、他には誰も泊まってへんのかなあ」
 夏樹の真向かい座って、同じような姿勢で少し猫背になっている飛沢が言った。
「ほんまやなあ、静かやなあ、今日は俺たちだけやろか」
 炬燵にあたり、冷えた体が少し温まったのか、眠くなってきたようだ。三人の会話が止まって、静寂な時間がしばらく続いた。

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2009.02.11 / Top↑





 炬燵の温もりがからだ全体に行きわたり、三人が会話をやめて、うとうととしていた。その時突然、目が覚めるような大きな声が聞こえてきた。
「ええ、こんなところに止まんのかいなあ」
「なんぼ安いってゆうたかて、これはひどいなあ」
 初めと、二番目に聞こえてきた声は別人のようである。夏樹たち三人が居る部屋の向かいの障子戸が開き、荷物をどすんと降ろす音が二つ聞こえた。
 向かいの部屋に二人連れの泊まり客が入ったようだ。声を聞く限りでは、夏樹たちとあまり変わらない歳の二人のようだ。それと、二人とも、こてこての関西弁、おそらく大阪の人たちのようだ。

「ああっ、寝そうやったけど、いっぺんに目が覚めてしもうたわ」
 石田が驚いたように言った。
「なんか向かいの部屋にお仲間が来た見たみたいやなあ」
 夏樹も寝ていたようだが、僅かな時間の睡眠中に変な夢を見たようで、少し目をこすってから、首を大きく三回まわしてから天井を見てから、ゆっくりと言った。
「おっ、もうこんな時間や、風呂に入ろうか」

 三人が風呂に行く準備をして部屋を出たところで、向かいの部屋の障子戸が開き、中からくるくるのパーマをかけた大きな男が出てきた。
 先頭にいた石田は、出会い頭だったので、体を仰け反らせるようにして後ろへ半歩下がった。
 急に下がってきた石田に、少しだけ夏樹が怒りの言葉を言った。
「あっ、ごめん、お向かいさんとぶつかりそうになったんや」
「こちらこそすいません、急に出てきてしもうて」
 向かいの部屋のパーマかけた大きな男が頭を下げた。
 それを切っ掛けに、こんな狭い廊下で三人と二人は簡単なあいさつをして、五人ともが同じ年であることが解り、急にしたしくなった。

「俺たち、先に風呂に入ってくるから、その後でゆっくりと話しをしようや」と夏樹が言った。
 パーマをかけた大きな男と、その連れの丸刈りの小柄な男が、右手の親指と人差し指で丸を作り、にっこりと「了解」と言った。



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2009.02.14 / Top↑






 夏樹たちが風呂から部屋に戻ったことを、向かいの二人に伝えると、二人はすぐに風呂へ向かった。

「風呂も普通の家の風呂より少し広いぐらいで、昨日とはずいぶんと違うなあ」
 石田が風呂で使ったタオルをハンガーに掛けて、中庭に面した窓の鴨居に引っ掛けて、炬燵の前に座った。
「俺の家には風呂がないねん、そやから、いっつも銭湯に行くさかい、今日みたな風呂はちょっと窮屈やなあ」
「夏樹っていっつも銭湯に行っての」
 飛沢が少し驚いたように言った。
「銭湯は広くてええでえ。電気風呂や、水風呂、薬湯に、ジェット水流のある風呂もあるしなあ、けどサウナは苦手やねん、暑いだけでちょっとも汗は出えへんし、息苦しいし、あれはあかんわ」
「へええ、帰ったら俺も行ってみよう」

「入ってもかまへんか」
 向かいの部屋の丸刈りで小柄なほうの人の声が聞こえてきた。
「えっ、もう風呂から上がったんかいな、早いなあ」
 夏樹が驚いた様子で言ってから、すぐに部屋に招き入れた。
「いやあ、どうもどうも」
「自分、ずいぶんと早いなあ、どこを洗うてきたんや、ちゃんと石鹸を使うてきたんか」
 飛沢が不思議そうに聞いた。
「俺の頭を見てみいなあ、体と一緒にぐるっと洗うたらすぐや」
「そやけど、湯船につかって来たんかあ」
「じゃぼんと入って、十数えたら十分やろ」
「小っちゃい子供やないんやから、十数えたらって」
 夏樹たち三人が唖然とした顔つきでいた。
「ところでパーマの彼はどないしたん」
「一緒に十を数えたんやけどな、あいつの頭見たら分かるやろ、ドライヤーを掛けて乾かすのに時間がかかるんや」
「風呂場にドライヤーなんかあったか」
「もちろん自分のを持って来てるがな」




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2009.02.16 / Top↑






「自分用のドライヤーを持ってるんか」
 女の子ならまだしも、高校生(正確には高校を卒業したばかりの)男が自分用のドライヤーを持ってるいることが、とても珍しく、変な奴じゃないかと、夏樹たち三人は顔を見合わせて「変な奴ウ」と声をそろえた。
「入ってもええかあ」
 くるくるパーマをかけた大きな男の声が聞こえてきた。
「どうぞ」
 丸刈り君が答えた。すると、スーッと障子戸が開いた。
「なんでおまえが答えてんねん、ここはおまえの部屋とちゃうやろ、それになんか俺のことを変人扱いしてへんかったか。タクよりはずっとましやと思うで、お前よりはスケベやないし、頭も悪くはないし、面白いし、背もちっちゃくはないし、お前よりは変やないでえ」
 パーマの男は背が大きく、無口で、気むずかしそうな顔に見えたのだが、一人でべらべらとよく喋る男であった。人は見かけだけでは解らないものだ。
「おいおい、最後の背がちっちゃいは関係ないやろ」
「まあまあ、くるくるパーマ君、まずは座ってくんなまし」
 二人の仲を割って、夏樹が声をかけた。
「おいおい、それはちょっと言い過ぎとちゃいますか、初対面の人間に対して、くるくるパーはないやろ。確かに高校ではタクの次ぎやったけどな、成績が学年で下から一番がタクで、その次やけどな。くるくるパーはないやろ」
「じぶん、よう喋るなあ、もっと無口な奴やと思ってたは」

 関西人は「きみ、あなた」と言う言葉と同じように、話をする相手に対して、少し丁寧な呼び方として「じぶん」と言う言葉を使う。
 初めて関東の人と話しをしたときに、相手のことを「じぶん」と呼ぶものだから、相手の人は不思議な顔つきで、「なぜ、さっきから、「じぶん」て言うの、変じゃない。じぶんが、じぶんに何をしたって言うの」こんなところからも、コミュニケーションが始まり、新たな出会いが始まることもある。




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2009.02.18 / Top↑





 旅先で出会った人との会話の始まりはお国言葉、方言のことが切っ掛けとなることがよくある。人は生まれ育った場所の言葉を脳に沁みこませる。親の話す言葉の単語、イントネーション、その土地独特の言い回しを、自然に覚える。
 今は東京に住んでいても、子供のころに関西に居た人は、どこかに関西弁が残っているようだ。だいたい何歳ぐらいまでの記憶が、その後の言葉の習慣を支配し影響を与えるのだろうか
 関西に二十数年、東北にも二十数年も暮らしていると、関西訛りの東北弁?いや、東北訛りの関西弁?いずれにせよ、変な言葉を操る、変なおじさんとなる。おそらく、関西弁には死んでも支配されるであろう。

「俺がよう喋るって、失礼やないか、こんなおとなしくて、まじめで、背が高くて、少しやけどエエ男を捕まえて、なんちゅうことを言うんですか」
「みなさん、すいませんねえ、こいつは高校でも有名なアホですねん、みんなに早うヨシモトに行けって言われてますねん」
 丸刈りのタク君が言った。
「就職先はそしたらヨシモトなんですか」
 石田が真面目な顔つきで言った。
「なんでやねん」
 くるくるパーマが右手の甲で、石田の胸を軽く叩いた。

「一人でぼけて、一人で突っ込んで、さすがやねえ」
 夏樹が大いに笑い転げながら言った。
「そんなには面白くはないやろ」
 くるくるパーマが真面目な顔をして言った。
「そやかて、おもろいやんか、タク君が言うようにヨシモトに行った方がええと思うわ」
「俺はお笑いの道には進まへん、ちゃんと就職してお金を稼いで、可愛い嫁さんを貰って、ほんで大阪の郊外にマイホームを建てて、子供は三人はほしいな、男の子が生まれたら、近くの公園でキャッチボールをするんや、女子には七五三の時に可愛い着物を着せてあげるんや」
 くるくるパーマ君は今までの冗談を言っている時とは別人のように、真面目な顔をしていた。十八歳の青年が、ささやかだけれど、大きな夢を語った。




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2009.02.20 / Top↑







「じぶんって、随分と堅実やなあ、そんなくるくるの頭してんのに」
「いやこれはな、失敗やねん、こんなになるとは思わんかったんや。高校の校則でパーマは禁止やったんやけど、どうしてもパーマをあてたかったんや、ほんで卒業式が終わって、そのまま真っ直ぐに美容院に行って、パーマあててって言うて、そのまま寝てしもうたんや、目が覚めた時にはこんなんやったんや」
 パーマをあてるというのは、関西だけのようだけれど。確認はできていない。

 少し伸びていた髪の毛をカットせずに、そのままパーマを掛けてしまったから、くるくるのアフロになってしまったことを、タク君が補足した。
「なんでカットせんかったん」
「卒業式で疲れてしもうて、パーマをあててって言うことを頼んだ後は、ちょっと寝ぼけてたみたいでな、あんまり覚えてへんのやけど、カットせんといてって言たみたいなんや」
「ほんで、そんな頭になってしもうたっちゅうことか」

 五人は関西から遠く離れた津和野の地で、偶然知り合い、小さな炬燵に足を入れて、些細な内容だけれど関西弁を飛び交わしていた。つい数時間前までは、まったくの他人、見ず知らずの人だったのに、旅は大いに人の心を広げて、多くの知識を吸収できる場なのではないだろうか、そして人として大きくしてくれるように思う。

「じぶんらは、いつから旅にでたんや」
 夏樹が話しを変えた。
「今日からや、今朝、大阪を出て津和野に着いたんや」
 タク君が言った。
「と言うことは、新幹線で小郡まで来たんか、随分と贅沢な旅行やなあ」
「そやかて「旅のしおり」にはそう書いてあったんや、それで小郡まで新幹線で来たんや。さすがに泊まる所まではその「旅のしおり」の通り、ちゅうわけにはいかへんから、ユースホステルに泊まることにしたんや、「旅のしおり」に書いてあるホテルに泊まるには、あまりにも予算が足らんし、実際問題として新幹線に乗ってしまうと、他に使える金が殆ど残らへんのよ。泊まるところで一番安いところはどこやって、担任のセンコウに聞いたら、ユースホステルが安いって、その代わりに部屋は相部屋、食事も普通の飯やし、ほんまに安いだけやでって聞かされて来たんや。けどホテルみたいな所とはこんなに違うとは思いもせんかったで」
 くるくるパーマは相変わらず饒舌である。



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2009.02.23 / Top↑





「なんやその「旅のしおり」って、じぶんたちの旅の計画表を作ったんか、わざわざ、そうやとしたら、べつに金が掛からんように計画を考えたらええのとちゃうの」
 飛沢が不思議そうに聞いた。
「俺たちが作ったんとちゃうがな、殆どは学校のセンコウが勝手に考えて作ったんや」
 くるくるパーマが少し不機嫌そうに言った。
「はあ、どういうことや、先生が考えた旅行の計画をじぶんらが実行してるって、わけわからんなあ」
 飛沢がますます不思議そうな顔つきで言った。
「もしかして、それって修学旅行の「旅のしおり」とちゃいますか」
 石田が静かに、ゆっくりと言った。
「あっそうか、肝心なことを言わんかったなあ、角刈りの兄ちゃんの言うとおりなんや」
 くるくるパーマが自分の部屋から「旅のしおり」を持て来て見せた。薄茶色のわら半紙にガリ版で印刷され、片側を二ヶ所ホチキスで綴じた手作りの「旅のしおり」である。
 ようやくことの真相が三人に伝わったようだ。いや、まだ不可解である、泊まるところは違っていても、高校を卒業した二人が、なぜ修学旅行の「旅のしおり」を持って、それに書いてある予定表の通りに旅をしているのか解らない。その「旅のしおり」をよく見ると「大阪市立○○中学校」と書いてある。

「じぶんら、何で中学校の時の「旅のしおりを持って旅をしてるんや」
 夏樹が言った。
 二人は少し背を丸めるような姿勢になり、俯きながらタク君が話し始めた。
「実はなあ、俺たちは幼稚園からの腐れ縁の関係なんやけどな、中学生のときに学校が荒れててなあ、市内でもちょっとは名の知れた悪いやつらが多い学校やったんや」
 そこまで話したところで、くるくるパーマがタク君を制するように割って入ってきた。
「タク、そんな話までせんでええやんか」
 一呼吸してからくるくるパーマが話を続けた。
「実は修学旅行に行く直前に、三年生の一部が大勢で大喧嘩をしたんや、何やくだらん勢力争いみたいなことが発端やったらしいは、それで怪我人が出て、学校中が大騒ぎになって、怪我をした先生もいたんやけど、警察沙汰にはならんかった。けど先生たちはこんな連中を修学旅行に連れて行く訳にはいかない、ということで中止になった。親からはほとんどの生徒は関係ないから、関わった生徒だけを行かせないで、修学旅行は予定通り行かせてほしいと反論したんやけど、先生たちが生徒をまとめる自信がないとか、旅行先で同じような問題が起きない保障はないとか泣き言みたいなことばっかり言うて、結局、中止になった」




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2009.02.25 / Top↑






「ええっ、あんたらそんなに悪い人たちなんですか」
 石田が座ったままで仰け反り、半身の体勢になった。
「あほなこと言わんといて、俺たちがそんな悪いやつらに見えますかって」
 二人が口を揃えて言った。
「うん、見えますよ」
飛沢と夏樹が同時に言った。
「その頭かっこやったら、どこから見てもヤンキーの兄ちゃんやで」
「飛沢の言う通り、大喧嘩のときの、どっちかのグループの親分とちゃいまんのか」
 夏樹が少し笑いながら言った。
「なんちゅうこと言いますねん、さっきも言うたけど、タクよりはスケベやないし、頭も悪くはないし、面白いし、背もちっちゃくはないし、こんなに大人しい僕が喧嘩をするようなグループの親分やなんて、ありえへんでしょう」
「誰が大人しいねん」
 くるくるパーマを除く四人が口を揃えてつっこみをいれた。その後は五人で大笑いした。

 ちょうどそのとき、障子戸が開いた。
「ずいぶん楽しく盛り上がってるところ申し訳ないのですが、夕食の時間です、食堂へ来てください」
とペアレントさんが声をかけてきた。

 ここに今日、泊まっているのはやはり夏樹、飛沢、石田と、タク君とくるくるパーマ君の五人だけだった。
 今日の夕食も家庭料理というか、定食屋さんのスペシャルランチというか、もちろんホテルや、旅館の料理のような豪華なものではなかった。

 夕食後に五人は夏樹たちの部屋の炬燵に潜り込んで、話を続けた。
「津和野って女もんの雑誌とかによく載っていて、今では有名な観光地なんやろ。若い姉ちゃんたちがいっぱい来てるって聞いてたから、楽しみにしていたのに、ここは男しか泊まってへんって、どういうことやねん。つまらんのう、タク。責任者でてこいっちゅうねん」
 くるくるパーマが言った。
「シンヤ、俺にぼやいたかて、どないにもならんやろ」
 くるくるパーマはシンヤという名前らしい。
「俺たちも今日の五時過ぎに駅について、まっすぐにここへ来たからなあ。けど観光客はあんまり見かけへんかったなあ。失敗パーマ君は、若い姉ちゃんが目的で来たんかいなあ」
 夏樹が言った。
「失敗パーマって言わんといて、俺はシンヤ、川上信也ちゅうねん、以後お見知りおきを」
 と言って右の手のひらを上にして前に突き出した。任侠映画の影響が大きい奴のようだ。

 




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2009.02.27 / Top↑






 昔は商家か、武家の屋敷かと言った趣で、中庭まである大きな家である。隣の家もすぐには見えない。ユースホステルとはいっても、今日の宿泊者は五人だけ、誰にも遠慮なく、少々の大きな声を出しても大丈夫な環境である。時を忘れて五人は話に夢中になっていた。

「話を食事の前に戻してもかいませんか。中止になった修学旅行の「旅のしおり」を持って、その通りの計画で旅をしているのか、聞かせてえな、信也さん」
 飛沢が言った。
「そやったなあ、途中で終わってもうたからなあ。さっきも言うたように、俺とタクはまじめやった。頭は悪かったけどな、素行は悪くはなかった、どちらかと言えばそう言う悪い奴らに目をつけらて、いじめらてたほうなんや」
 信也とタクは大喧嘩とはまったく関係のないところに居たのに、一部の不良どもの仕業によって、中学校生活の最大かつ唯一のイベントが中止になった。
「俺たちはどうしても修学旅行に行きたかった」

 彼らにはどうしても修学旅行へ行きたいのには理由(わけ)があった。二人は修学旅行の事前調査委員会のメンバーだった。こういった面倒な役目はどうしても成績優秀で積極的な人物か、成績は悪くても比較的大人しく、まじめな人物が選ばれることが多い。
 信也とタクも半ばむりやり、委員をやらされてしまったのだという。
「正直言うて、そんなめんどうくさいこと、やりとうは無かったんやけど、喧嘩のときの片方の親分みたいな奴が「お前らがやったらええやんけ」の一言で決まってしもうたんや」
 タクが小さな声で言った。彼らは頭が悪いなりに、決まった事は仕方がないと諦めて、一生懸命に慣れない作業をこなして、「旅のしおり」を完成させた。

「あれをちゃんと完成させることが出来たんは、美子のおかげやもんな」
 信也が少し天井を見つめて言った。
「美子は俺たちみたいなアホにも丁寧に、分かりやすく調べ方を教えてくれた」
「タク、お前なんかほとんど何にもせんかたやないか」
「いや、美子に言われたことはちゃんとやったで。美子は「旅のしおり」を作るのに一生懸命にがんばったもんなあ。それやのにあいつらのせいで、中止になってしもうた」
 美子はクラスで一番の成績優秀で、生徒会長をやっていた。事前調査委員会のまとめ役でもあった。


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2009.03.02 / Top↑






「美子はこの津和野に来ることを一番楽しみにしていた。幕末から明治にかけての歴史が好きで、その幕末の舞台となった長州、津和野のことを調べるときは、すごく張り切っていたんや」
 信也がまじめな顔で言った。
「委員会に行くようになったころは、美子のことが鬱陶しいかった。いろいろとうるさかったしな、そやから始めは、いやいややっていたなあ。それに今までは年号を覚えることが出来なくて、歴史なんか嫌いやった」
「何でそんな昔の、終わったことを覚えんなあかんのんやあ、って言うてたなあ」
 タクが言った。
「けど、美子のおかげで少しは勉強したし、幕末のことも興味を持てるようになった。今の俺の愛読書は「坂本龍馬」や、感動ばっかりしてるわ」
「へえ、そんなに面白いか」
 飛沢が信也に聞いた。
「是非、読んでみて、あの人はすごいわ」

「修学旅行の中止が決まった時は、あいつ、泣いていたんや、俺らもなんかもらい泣きしそうになったなあ」
「タクは泣きそうになったんと違うて、ほんまに泣いとったやないか、目を真っ赤にして、それを見つけた不良どもに、卒業するまでからかわれていたもんなあ」

 そんな美子を連れて、信也とタクは担任の先生のところへ、なぜ修学旅行が中止になったのか、なんとして行けるようにならないか、談判に行った。しかし、担任の先生では埒があかず、校長先生のところへも行った。三人は粘り強く話しをしたのだけれど、聞き入れられず中止は撤回されなかった。
「行けんようになってしもうたから、美子と約束したんや、この「旅のしおり」を大事にとっといて、いつかみんなで行こうなって」
 信也が少し目を赤くして言った。


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2009.03.04 / Top↑





「旅のしおり」を作る修学旅行事前調査委員は、各クラス二人づつ選出し、五クラスで十人いた。その中で放課後、図書館に集まり世話役の美子の元で調ものをしていたのは、いつも五人ぐらいだった。男は信也とタクだけだったようだ。
 クラスも、出身小学校も違う五人は、毎日図書館に集まるうちに友情が芽生えた。信也とタクもこの時から親しくなった友人だと言う。

 テレビでは青春ドラマが真っ盛りの時代だった。「レッツ・ビギン」「ヨシカワ君」「カースケ」などなど、学校では昨夜のドラマの話が話題の中心だった。「カースケ」のエンディングに流れる詩を覚えてきた奴もいた。ビデオなどがまだまだ一般的ではないころの話だ。
 そんなドラマの影響があったのか、信也は校長先生に今にも大声を上げそうな語り口で、何度も中止をしないでほしいと熱く語ったのだ。

「中学校の修学旅行は二度とないんやから、行かせてください。委員会のメンバーが一生懸命に「旅のしおり」を作ったことを、無駄にせんといてくださいって何回も言うたし、喧嘩には何の関係も無い奴の方が圧倒的に多く、女子はまったく関係ないのだからと、いろいろ説得したんやけど、あかんかった。校長は申し訳ないと言うだけで、分かったみんなで行こうとは言てくれへんかった」
「そのとき美子は信也の隣に立って、俯いたまま何も言わずにいたんやけど、熱弁する信也を制して一言だけ「もういいよ」と言うたんや」
 タクが言った。
「俺も美子の一言で諦めた。校長室を出て図書館に戻り、出来あがったばかりの「旅のしおり」を持って、みんな、これを大事に残しとくんやで、ほんでいつかみんなでこの「旅のしおり」の通りに旅行しよな、約束やで」
 また、信也が熱く語ったのだと言った。
 ほかの四人は少し赤い目をして、大きく頷いた。




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2009.03.06 / Top↑




 信也とタクは中学を卒業後に同じ高校へ進んだ。美子は大阪市内でも有数の進学校へ行った、他の二人も別の高校へ進んだ。卒業してからはクラス会が二度ほどあったが美子たちとはクラスが違ったから、顔を見ることもなかった。通う高校も違うし、そんな委員会だけの仲だったこともあり、音信はどちらからもなかった。
「今年の正月やったかなあ、美子が東京の大学に行くって、風の便りに聞こえてきたなあ」
 信也が天井を見て言った。

「もしかして信也君はその美子さんが好きやったんとちゃうか」
 飛沢がまじめに言った。
「ちゃうって。あいつにはあの時、付き合ってる奴がいたんや」
 信也の顔が少し赤くなった。
「けど好きやったんやろ、ええやんか隠さんでも、彼氏がおったかて好きな女の子のために,校長先生のところで真剣に頭下げて談判したんやろ、かっこええやんか、青春やなあ」
「なんか某国営放送局の「中学生日記」みたいやんか。原稿用紙に書いて応募しよかなあ」
 夏樹が微笑み顔で言った。
「そしたら俺がそのドラマの監督をやる」
 石田がまじめ顔で言った。
「お前は映画監督の前に、その対人恐怖症を克服せんとなあ」
「飛沢君、昨日は始めてやったから、緊張してただけや、今日はなんともなく、こうやって話しをしてるやんか」
「今日は初対面の人が、信也君とタク君の二人だけやからとちゃうのんか」

 飛沢が昨日の倉敷ユースホステルでの出来事を、簡単に信也と、タクに説明をした。それを聞いた二人は大笑いをした。
「映画監督の前に対人恐怖症な、なるほどなあ。石田君の初監督作品は俺たちの中学生日記か、楽しみにしてまっせ」
 五人は互いの顔を見ながら大いに笑った。






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2009.03.09 / Top↑





 タクは地元の機械部品を作る工場に、信也は名古屋の食品メーカーの工場に就職が決まり、離ればなれになることで、美子たち三人への連絡の方法も思い浮かばないまま、修学旅行の計画通りの旅行をとりあえず二人だけで実行したのだ。
「それで高校を卒業後の春休みを利用して、二人で「旅のしおり」を持って旅行をしてるんやな」
 夏樹が言った。
「就職したら、それこそ、いつになったら修学旅行に行けるか分からんからなあ」
「信也が名古屋に行ってしまえば、もう会うことが難しくなるからなあ。けど、五月ごろには名古屋の会社が嫌になって、帰ってきたりしてなあ」
「あほなことを言うなよ、最低でも三年は向こうにいるからな」
「大阪弁を忘れて、名古屋弁になってくるかもなあ」
 夏樹が茶化すように言った。
「いやあ、名古屋弁を喋るようになるかも知れへんけど、大阪弁を忘れることは無いやろ、関西人は何処へ行っても関西弁を喋るらしいからなあ。ある意味、不器用なんやろか、関西弁しか喋れんへんのとちゃうやろか」
「関西以外の土地に暮らしてみんと分からんけど、できれば関東の共通語、標準語っていうのは、ちょっとにがてやなあ、少しきつく聞こえるときがあるんやな」
 飛沢が言った。

「関東の人も関西弁は苦手やって言う人もいるでえ、昨日の倉敷ユースホステルで言うてる人がいたわ」
「石田、お前、飯を食った後に部屋で寝てたやないか、いつそんなん聞いたんや」
「夏樹たちが俺を置いて、食堂へ行ってる時に、あの部屋にいた人らが喋ってるのが聞こえたんや、なんか関西弁て怖い感じがするねえって」
「聞きなれへん言葉って、その土地の人たちとは違う印象を持つかもなあ」
 タクがこそっと言った。
「日本は広いなあ、こうやって北から、南まで各地を周ったら面白いやろなあ」
 夏樹が腕ぐみをしながら言った。


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2009.03.11 / Top↑







 楽しい時というものは過ぎてしまうのが早いもの。五人は流れる時間を忘れ、話し込んでいたが、誰ともなく現在時間に気がついた。もう、二十三時を過ぎている、確か消灯時間は十時だったかな、ユースホステルの夜は早い。しかし、今夜の宿泊者はここにいる五人だけ、ミーティングもなく、夕食後はここの部屋で話し込んでいた。誰からも文句を言われず、遅くなってしまった。
 飛沢が大きなあくびをした。それに釣られるように、夏樹もあくびをした。
「きょうも朝からずっと電車に乗ってたから、疲れたかなあ」
 夏樹がもう一度あくびをしながら言った。

「そろそろ寝ましょうか」
 信也も目をこすり、両手を大きく上に伸ばした。
彼とタクは今日から旅が始まった。新幹線で大阪を出て中学の時の「旅のしおり」を元に萩市内の観光をして、津和野に泊まった。「旅のしおり」には萩市内のホテルに泊まることになっていたようだが、ホテルに泊まるには予算がなく、ユースホステルが泊まるには安くて良いと、担任の先生に聞いてきたのだが、萩のユースホステルには昨日、電話予約をしたようだが、すでに予約が一杯で泊まれなかったのだ。仕方なく二日目の予定の津和野まで足を伸ばし、津和野のユースホステルに泊まることになった。初めてのユースホステルが少々期待はずれの建物だったけれど、夏樹たちに巡り合えて、とても有意義な一夜を過ごす事ができた。

「いやあ、あんたらと逢えてほんまに良かったは、楽しい時間を過ごす事が出来たし、おぉきに、ありがとうございました」
 信也が正座に座りなおして深く頭を下げた。タクも少し送れて正座して頭を下げた。すると夏樹たち三人もほぼ同時に正座に座り直して「いえいえこちらこそ、おぉきに、楽しかったは」と言った。
 少しの間だけ静寂な時が流れたあと、五人は満面の笑みを浮かべて、大きな声を出して笑った。
「おやすみ」
「おやすみ、明日な」



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2009.03.13 / Top↑






 翌朝、天気は快晴だったが三月にしては寒かった。ユースホステルの中庭にはうっすらと雪が積もっていた。
 一日中電車に乗って、少しだけ夜更かしをしたためなのか、七時を過ぎても誰も起きなかった。ペアレントさんも起こしには来なかった。
「おい、もう七時を過ぎてるで、起きなあかんやろ」
 石田が自分の腕時計を見て、大きな声を出した。夏樹と飛沢もその声で慌てて起きたが、眠気が残っていて動きが遅い。

 簡単に蒲団をたたみ、三人が部屋を出たところに、向かいの部屋の障子戸が開き、信也とタクが出てきた。
「おはよう」
「おはようさん、自分ら急がんと今日の予定が狂ってくるのとちゃうか」
 夏樹が信也たちに言った。信也たちは津和野から小郡へ、新幹線で広島まで行く予定になっている。急がないと津和野の駅へ行くバスに乗り遅れてしまうかも知れない。
 夏樹たちは津和野の街を観光して、萩まで向かう。
 五人で早々に朝食を済ませ、荷物をまとめて一緒にユースホステルを出た。
「行ってきます」
 ペアレントさんに挨拶をした。
 ユースホステルを出て直ぐに目の前をバスが通り過ぎて行った。
「今のバスって駅に行くバスとちゃうか」
 夏樹が言った。バスの行き先名には「津和野駅」と書いてあった。
「走って行ったら間に合うのとちゃうか、俺達は乗らへんけど信也君とタク君はあれに乗って行かなあかんのやろ」
 夏樹が二人を見ると呆然としてバスを見ていた。
「おい、どないしたんや、はよ、走って行ったら間にあうで」
 それでも二人は走り去って行くバスを見つめていたが、信也とタクはほぼ同時に顔を見合わせて言った。
「見たか、一番後ろの席」
「見た、間違いないやろ」
「なあ、走ろ」
「ほな、さいなら」
 二人は夏樹たちに一瞬だけ向き直り、荷物を担いでバスに向かって走って行った。
「じゃあな、またどこかで」
「間に合うかな」
「あれ、後ろの席に誰かが乗ってたんやろか、もしかして・・・」
 





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2009.03.16 / Top↑






夏樹、飛沢、石田の三人は津和野駅に置いてあった観光案内図を片手に観光へ繰り出した。今思えば大きな荷物は、駅のロッカーにでも預ければ良かったものを、なぜか担いだままで、あちらこちらを歩き廻った。
 津和野へ来る前に一つだけ行って見たかったところがあった。白壁の武家屋敷風の建物が並ぶ町並みに、巾が一メートル程の堀が流れていて、その緩やかな流れの中に鯉が泳いでいるのを「遠くへ行きたい」か何かの旅番組を見て、強く印象に残っていた。

 夏樹の家の前にも水が流れる側溝があるが、下水道が整備される前の家庭排水路である。いわゆる「どぶ」と言うものはあった。どうしても、家の前を流れる水の中に鯉が泳いでいるという事が、ミステリアスな事実というか、信じがたいことだった。見たことのない情景を、とにかく自分の目で確認したかった。
 津和野駅から歩いて十分ほどのところに、殿町通りといわれる武家屋敷が、観光用に整備された道路沿いに並び、その白壁の直ぐ下を清んだ水が流れる堀がある。中をのぞいて見ると、本当に鯉がいた。悠々と泳いでいるではないか。十八歳の春の新たな発見、感動を与えてくれた。

 殿町を見た後は、津和野カトリック教会、乙女峠記念聖堂、などを見て廻った。京都は観光地としては日本一なのかも知れないが、キリスト教の教会などは少ないように思う。そのためか、カトリック教会などというものは珍しく、見入ってしまった。
 次に津和野城跡へ向かった。石垣の頂上に登ると一面に雪が積もり、関西人には雪は珍しく、何もない城跡の石垣の頂上一面を覆う雪に、きょう二回目の感動をもらった。
「わあ、雪や、雪やで」
 飛沢が早速、雪を手に取り丸めて投げた。
「津和野の街が全部見えるやんか、山口線の列車が走ってるのも見えるなあ」
 夏樹は風景を楽しんだ。山口線を走る列車は、上りか下りかも気になっていた。どうでも良いことのようだけれど、そこいらへんが「鉄ちゃん」の性なのである。



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2009.03.18 / Top↑






 津和野から山口線に乗り四十分ほどで山陰本線の益田へ、そこから下りの列車に乗り一時間ほどで萩に着く。この日に止まる萩のユースホステルは萩駅の次の玉江駅で下車し、駅から二十分ほど歩いた萩城跡の近くにある。
「今日のユースホステルは倉敷のユースホステルとおんなじぐらいの規模やから、大きい建物やと思うで」
 夏樹がガイドブックを見ながら言った。
「おっ、こことちゃうか、けっこう、大きな建物やなあ」
 飛沢は今日も大きくて重い荷物を担いで、津和野の街を歩き、また萩までの電車に揺られたためか、顔に疲れが出てきていた。

 十八歳の青年、若いとは言っても飛沢と夏樹と石田は中学、高校の部活は帰宅部、体力には全く自信はない。大きな荷物を担ぐと、重さが肩にずしりと食い込み、両肩から首にかけての全体が、荷物を下ろしても重く感じていた。もちろん両足も、腿から足の指先まで疲れが溜まって来ていた。青年の貧乏旅行である、周遊券の使えない市街地の観光や、駅からユースホステルまでの移動は、ほとんど歩き、徒歩である。

「荷物が重いと、なんか駅からの距離が遠く感じるなあ。やっと着いたっちゅうところやなあ」
 石田も疲れが溜まってきているようだ。

 受付を済ませシーツを貰って部屋へ向かった。二十人は入れるであろう大きな部屋が、今日の三人の寝床だった。長方形の部屋の、長い辺の壁側に頭を向けて布団を敷いている先客が多くいる。たたまれた敷き布団、掛け布団その上に枕の順に積み上げられたところは、先客はいない証しなのだろう。ちょうど三人分が並んでいるところの壁近くに荷物を置き、受付けで貰ったシーツを、広げた敷き布団の上に敷いた。
 その上に三人が大きく手を伸ばして上を向いて寝転んだ。
「あっああ、くたびれた」



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2009.03.25 / Top↑






「かなりお疲れのようですねえ」
 飛沢の右隣に陣取って、布団の上に座っていた大学生ふうの男が声を掛けてきた。
「あっああ、どうも」
 飛沢が飛び起きるように布団の上にあぐらをかいて座った。大きな荷物を担いで、あちらこちらを歩いたために足も、肩も筋肉痛になり、特に足が痛くなったことを、飛沢にしては丁寧に話した。
「君達は大阪の人ですか」
 隣に座っていた男の髪は少し長いボサボサ頭、日に焼けた黒い顔の中にひときわ白さが目立つ歯を見せながら笑顔を作り、話し掛けてきた。
「あっ、やっぱりわかりますか、大阪やないけど同じ関西人ですねん」
 夏樹がにっこりして言った。
「わかるよ、大阪の友達がいるからね、話し方が同じだから」
「けど、大阪と京都ではちょっと違いますけどね」
 石田も会話に参加してきた。知らない人との会話が苦手だと言っていたのだけれど。
「へえ京都から来たんだ、京都はいいところだよね、修学旅行で行った時に感動してね、大学に入ってからも何回も行ったよ」
「京都のどこいらへんがいいですか。十八年ほど住んでますけど、観光地とかにはあんまり行ったことがないから、ユースホステルとかでお勧めはとか聞かれても答えらへんのですわ」
「何や夏樹、京都の観光地に行ったことないんかいな」
「ほな飛沢は、あっちこっちの観光地に行ったんかいな」
「うん、清水寺には行ったことあるで」
「他には何処に行ったん」
「んんと、京都タワーかな」
「あれは観光地とちゃうやろ」
「そうかなあ」
 少し髪を伸ばしてボサボサ頭で、色の黒い大学生が、部屋中に響き渡りそうな大きな声で笑いはじめた。
「君達、おもしろいね、漫才を見ているみたいだよ」
 夏樹たち三人はにこりとともせずに、色黒の男を見た。飛沢が小さく言った。
「そんなに面白いですか、普通の普段通りの会話ですけど」




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2009.03.27 / Top↑






 少し長髪のボサボサ頭で色黒の大学生は、夏樹たちが少し不機嫌そうに話すことに気がつき、笑いをこらえながら軽く謝った。
彼にとっての関西弁は、テレビなどで見る漫才のイメージが強く、関西弁イコール面白い話し、面白い話し方と言うことになるのだという。
「ごめんね、気を悪くさせちゃったね。全国を旅しているとさ、さまざまな人たちと出会うけど、やっぱり関西の人はねえ陽気で、楽しくて、面白い人が多いんだよね。テレビで見る上方漫才の芸人さんに見えちゃうんだよ」
「全国って日本中を旅したんですか」
 話し方が漫才みたいだと言われたことなど、もうどうでもよくなった、『日本中を旅した』と言う言葉に、夏樹がまたまた、興味津々である。

 ボサボサ頭で色黒の大学生は埼玉県の出身で、いまは東京の大学の三回生だそうだ。夏休みなどの長期間の休みを利用して、日本中を旅しているのだという。
「日本中と言っても、隅々まで行った訳ではないんだけどね。休みが始まると、とりあえず荷物だけをまとめて駅に向かう、そしてなんとなくその時の気分で、どこの方向へ行くかを決めて、乗る電車を決めるんだよ。駅に行くと各地の観光案内のポスターが貼ってあるじゃん、それをちらちらと眺めて決める時もあったりするんだよね」
「気の向くままのぶらり旅、なんかのテレビ番組のタイトルみたいな旅ですねえ」
飛沢も興味津々だ。

「春は桜を見に行って、夏は涼しい北海道や避暑地に、冬は雪景色のきれいなところやあまり有名ではない温泉地に向かうことが多いかな。秋はねえ秋休みがないから、あまり遠くへは行けないんだよね」
 大学へ行っている時は毎日のようにアルバイトをして、旅の資金を稼ぎ、休みになると旅に向かう。一度出かければ三週間以上の長旅になるため、アルバイトで貯めた資金だけでは贅沢は出来ず、節約ばかりの貧乏旅行になる。時には駅に野宿をしたり、電車やバスの連絡が悪く、ヒッチハイクをして目的地へ向ったりもした。もちろん歩くこともしばしばで、そのために顔だけが日に焼けて黒くなり、床屋へ行く金が惜しく、ボサボサの長髪なのである。


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2009.03.30 / Top↑




「ひとつ聞いてもいいですか」
 石田が言った。
「大学の三年生やのうて、三回生なんですか」
「三年生には違いないんだけれど、一浪して一年留年したから、本当は去年の春に卒業しているはずなんだよね。だから同級生のほとんどは二歳年下なんだよ、それで三回生ってこと」
「へえ、そんな風に言うんですか」
 石田が大きく頷いた。
「留年って落第ってことですよね、成績が悪かったんですか、大学生でも頭が悪い人もいるんですね」
 飛沢がかなり失礼なことを言った。
「いやあ、まいったなあ、一応さあ、おれ、国立大なんだよね」
 ボサボサ頭の大学生が苦笑いをして言った。
「あっ、すんません、ついつい思ったことを正直に言ってしまいました。とても素直な良い子でして。やっぱり親の育て方が良かったのかなあ」
 飛沢がおどけた顔つきで、天井を見上げながら言った。
「あほかおまえ、自分で自分のことを素直な良い子って言わへんやろ。良い子っておまえ中学校の時にちょっとだけタバコ吸うてたやないか、何も良い子やないやんけ」
「おいおい、いまそんな話をせんでもええやんか」
「まあまあこんなとこで喧嘩せんと、昔から言うやろ『喧嘩はおやめ、鼻くそおとり』って」
 石田が飛沢と夏樹の間に割って入り、メロディを付けて歌った。
「いやいや面白い」
 ボサボサ頭の大学生がまた、大きな声を出して笑った。
 そしてまたまた夏樹たち三人が顔を見合わせて不思議そうな顔をした。
「そんなに面白いか、俺たちって」
 飛沢が小さな声で言った。


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2009.04.01 / Top↑




「そんなに面白くはないやろ、俺らよりもおもろい奴は一杯いるからなあ」
 夏樹が飛沢の顔をのぞきこむように言った。
「ごめんね、普段通りの普通の会話だったね。俺もまじめに君たちの疑問に答えるよ」
 こみ上げて来る笑いを抑えて、ボサボサ頭を右手でかき上げる仕草を繰り返した。その度に僅かだが白い粉がポロポロと落ちた。
「その仕草って金田一耕助みたいやね」
 石田がポツリと言った。

「俺は金田市郎って言います。歳は、いいか、そんなに詳しい自己紹介は。埼玉出身で今は東京の大学へ通っています。三回生です」
 飛沢が微笑んだ。それにつられて夏樹と石田も微笑んだ。
「金田さん、その辺の話はさっき聞きましたよ」
「あっそうか」
 みんなで大笑いをした。和やかなひと時。
「俺は小さい頃から地図を見るのが好きだった。小学校の五年生だったかな、教科書と一緒に地図帳を貰ったんだよね。親父とおふくろは埼玉県生まれの同級生だから、夏休みとかに帰省ということはしなかった、だから県外へはほとんど行ったことがなくてねえ、その地図帳を見たときに俺の住んでいるところが、日本地図の点なのだってことに驚愕したんだよ。そして地図を見ることにのめり込んでしまって。地図の上で日本中を廻ったんだ。図書館に行っては貸し出し禁止の『日本の風景』だったかな、大きなカラーの本を見たり、自分の地図帳より詳しい地図帳を見たりしていた。家では旅番組ばかり見ていたよ」
「それって『遠くへ行きたい』ですか、俺もいっつも見てましたよ」
 夏樹がくいついた。
「そう、毎週欠かさず見ていたな。高校生になってユースホステルクラブに入って、長期の休みの度に各地へみんなで旅行をして、『日本の風景』で見た写真の世界を自分自身の目で見ることが出来るようになった。もうそれは驚きの連続でさあ、もちろん写真とは比べようのない迫力に感動しまくりさ」
「そうやって旅ばっかりしてたから、一浪したんですね」
 飛沢が小声で言った。




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2009.04.03 / Top↑






 ボサボサ頭をかき上げる度に、白いものがポロポロと落ちることなどまったく気にせずに、何回も右手でかき上げ、俯いたまま顔を少し赤くして話し始めた。
「いやあ、その通り。まず高校三年生の夏休みに北海道に行って、牧場で住み込みのアルバイトをしていて、夏休みに中に仕上げなければならない課題をまったくやらなかった。揚句の果てに夏休みが終わっても学校に行かずに、九月の中ごろまで北海道にいたんだよ」
「なんでですかあ、高三の大事な時期に何をやってたんですか」
 飛沢が噛み付くように言った。自分も大学を目指して、夏休みに入る前から受験のこと意外はすべて断ち切り、頑張ったことを思い出していたのだ。
「そんなに怒らないでくれよ、帰りたくても帰れなかったんだよ、バイト先の親父さんが怪我をしてね、秋までにやらなければならない作業が残っていてさ、それが終わるまで手伝っていたんだよ」

「似たような話しをどこかで聞いたような、聞かなかったような」
 夏樹が天井を見上げて呟いた。高校の時の田代先生だ、と一人で納得して頷いた。

「親父さんは牧場のことは大丈夫だから、学校が始まるから早く帰った方が良いて言ってくれたけど、親父さんが怪我をしたのは俺にも責任があるのだから、どうしても手伝わせてほしいって言って、残ったんだよ」
「牧場の親父さんは元気になったんですか」
 夏樹が言った。
「ああ、俺が埼玉の家に帰る頃にはだいぶ良くなって、作業もめどがついたから家に帰ったんだ。そしたら、父親に思いっきり怒られるかと思って覚悟をしていたんだけれど。大学は来年だって受けられる、まあ慌てるなってさ」
「・・・・・」
 夏樹たち三人は顔をみあい、言葉が出なかった。

少し沈黙の時間が流れてから石田がその沈黙を破った。
「それで受験勉強に向かったのが他の人たちよりもだいぶ遅れて、希望の大学へ行けなかったんですね」
「先生には絶対に無理だから他の大学に行けと言われた。必死に頑張ったのだけれど、やっぱり挽回できなかった。希望校に行けないのだったら、もう一年がんばろうと思って一浪したんだよ」



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2009.04.06 / Top↑






「俺はまだ十九才やし、人生がどうのこうのなんて言えるような歳やないけれど、北海道にいたその僅かな時間は、金田さんにとってはとても貴重な時間だったんだと思いますよ、これからの人生にとっての大きな、大切な時間になったんと、ちゃいますか」
 石田がいつもとは違う表情で、力説した。
「ありがとう、実は父親も同じようなことを大学に入ってから言ってくれたよ」
「なんか今日のおまえは、ごっつ格好ええやんか」
 隣にいた夏樹が、石田の肩を抱きかかえるように右手を回した。

「さっきはすんません、少し大きな声をだして」
 飛沢が申し訳ないと謝った。
「俺と石田は一応やけれど必死に受験に向けて頑張った。けど、結局のところ希望の大学には入ることが出来ずに、入れるところに行くことにしたんです。そやから今の話を聞くと、なんかとても複雑な想いで」
「いや、俺が正しいわけじゃないんだよ、だいたい高校三年の夏休みは受験勉強だろ、遊びに行っちゃいけないよ。生き方は人それぞれなのだから、俺みたいなのもいるってことさ」

 希望の大学だけを受験して、不合格となった金田は合格発表の次の日から、一年後の受験日を目指して勉強に打ち込んだ。そして、希望校だけに的を絞り、一年送れて希望の国立大学にみごと合格した。
 しかし、合格した次の日からさっそく旅に出て行ったのだと言う。入学の準備はすべて母親に任せて、北海道のあの牧場へ向かった。様々な思いを牧場の親父さんに聞いてほしかったのだという。帰って来たのは入学式の前日だった。

「そうすると、留年も旅をしていて単位を落としたんですか」
 夏樹が言った。
「その通り、旅好きは直らなかった。高校を卒業してからどこにも行かずに勉強をしたから、その反動なのか一年の夏休みに、また北海道に行ったんだよ、そして今度は別の牧場でアルバイトをしていたんだ、そのまま冬までいたのさ。一年の半分は北海道にいたことになるかな」
 金田は他人事のようにニコニコと笑いながら言った。そのときの彼の右手はボサボサ頭を何度もかき上げていた。白いものがポロポロと落ちてきていることなど、まったく気にもしていない様子だった。


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2009.04.08 / Top↑




 十人部屋の宿泊客は、二、三人ずつのグループが多いのか、四つの塊に分かれて思い思いに会話を交わしていた。そして、消灯の時間になり、ざわざわっと散らばり二十分後には皆が布団に入り、入り口に一番近いところに陣取った丸刈りの高校生風の男が「消しますよ」と言って、部屋の灯りを消した。

 翌朝も良い天気となり、まぶしいほどの朝陽が十人部屋の入り口の反対側の大きな窓から差し込んできた。大勢が一つの部屋に寝ていると、起床時間よりも早い時間に起き出すものが、必ず一人はいる。その物音に別のものが眼を覚ます、またその物音で誰かが起きる、連鎖的にざわざわとおき始めるものだ。
 しかし、早く起きてしまう奴とは対照的に、廻りのほとんどが布団を離れて、部屋全体が賑やかになって来ても、一人や二人はいつまでも寝ている奴がいるものだ。今朝は金田と飛沢の二人だけが、いまだにねむっているようだ。

「飛沢、朝やで起きる時間やで」
 隣にいた石田が飛沢の体をゆすりながら言った。その声に金田もゆっくりと眼を覚ました。
「おう、おはよう」
 飛沢の目は片目しか開いていない。
「おはようございます」
 金田はそう言って顔を隠すように布団を被った。

 金田の今日の旅程は山陰本線の下りに乗って下関に向かうと言う。夏樹たち三人は萩市内を観光して浜田まで向かう。有名な観光地はないのだけれど、石田の親戚が住んでいるということで、寄ることにした。たまたまユースホステルもあるし、出雲までは少し距離がある、浜田がちょうどよい中継点なのだ。

「金田さん、四月になったらちゃんと大学に行ってくださいよ。もう一年、留年なんてことにならんように」
 荷物をまとめ、出発の準備を整えて、ユースホステルの玄関で飛沢が言った。
「そうだね、来年は卒業できるように学校へ行くよ。君たちも良い旅を続けてね、昨日は楽しい夜だったよ」
「いえいえこちらこそ面白かったです、おぉきにぃ、ありがとうございました」
 夏樹が言った。
「ほな、さいなら」
 金田が大きく手を振りながら駅に向かった。
「あれあれ、移ったんですか。また、どこかで会えるといいですね」
 夏樹たちも金田と反対方向へ笑顔で手を振りながら向かった。


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2009.04.10 / Top↑





 萩といえば藩政時代の長州藩の中心地である。幕末ドラマの中心地と言っても良いだろう。高杉晋作、桂小五郎、明治新政府の初の首相である伊藤博文、彼らの師とも言うべき吉田松陰など、新しい時代を造った立役者たちがおおく輩出された地である。
 歴史が好きな人たちにとっての一番人気なのは戦国時代と、この幕末の時代であろう。どちらも激動の歴史があり、多くのドラマが生まれた時代だ。映画やテレビドラマなどにも多く描かれている。長州は必ず出てくる土地である。
 教科書にも出てくるような有名人の生誕地や旧宅、ゆかりの地が多くあり、幕末好きでなくても、聞き覚えのある人たちの名前が多くあるはずだ。

 夏樹たち三人は倉敷、津和野での教訓を生かし、ここ萩では玉江駅のロッカーに荷物を預けて、カメラと観光案内図だけを持ち、身軽になって萩の観光地を廻った。
「なんか歴史を感じるなあ」
 石田が突然、話しだした。
「お前に歴史が分かるんかい」
 飛沢が言った。
「分かるよう、幕末を舞台にした映画やドラマはいろいろ見たけど、必ず長州は出てくるし、今まで廻ってきた生誕地や旧宅の住人たちが、新しい時代を創ったんやから、歴史に興味がなくても聞いたことのある名前ばっかりやろ」
「なるほどなあ、確かに俺かて知ってる名前の人がいたは」
 夏樹はこの当時、歴史にはあまり興味がなかったが、高杉晋作の名前だけは知っていたようだ。
「津和野で一緒やった川上信也の愛読書に出てくる坂本竜馬もここかなあ、幕末の人なんやろ」
「夏樹、お前ほんまに知らんのか、坂本竜馬は土佐や、今の高知県やで」
 飛沢が夏樹の頭を軽く叩いた。
「あははははは・・」

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2009.04.14 / Top↑





 三人は馬鹿な話をしながら、観光案内図を片手に、幕末の情緒を味わっていた。
 伊藤博文の旧宅に立ち寄ったときに、夏樹が言った。
「伊藤博文ってあの千円札の人やなあ」
 歴史にあまり詳しくない夏樹も伊藤博文は知っていた。
「これを機会にもう少し歴史の勉強をしようっと」

 萩から浜田までは普通列車に乗り三時間ほどで移動できる。五時までには浜田のユースホステルに着きたい、そのために二時過ぎには玉江駅に戻った
 本線とは言っても山陰線はローカル線だ、列車の本数は多くはない。三人が玉江駅に着いて時刻表を見ると、次に乗れる列車は十四時二十分の出発だった。これに乗ると浜田駅に着くのは十七時過ぎになる、夕食には間に合うだろう。

 益田駅を過ぎた頃から、山陰海岸に沿うように線路がつづき、進行方向右手に海が望める。快晴の空に穏やかな海のはるか彼方に水平線がくっきりと見える。その水平線の近くにも雲が無く、海と空と、数十分後には沈むであろう太陽しか見えない。
「なんで太陽って沈む頃にはあんなにはっきりとした丸に見えるんやろ、ほんで大きく見えるし、真っ赤になったりするやろう、自然って不思議やなあ」
 夏樹が誰に問いかけるでもなく、独り言のように言った。
「空気中の塵とかが影響して赤く見えるとかって、テレビかなんかで聞いたように思うけど、忘れたわ。あんまり難しいことはわからん。俺、理科系はあんまり得意やないしなあ」
 飛沢も大きく開いた窓に両腕を組んで乗せ、少し冷たい風を顔中に受け、数十分後に沈む太陽を見ながら、独り言のように夏樹の言葉に答えた。
「どこのチャンネルやったかなあ、世界を旅して紹介する番組が始まる時の映像に、大きく真っ赤な太陽が水平線に沈んで行くのを見たことがあるんやけど、あれの実物を見てみたいなあ。もしかしたら、今日がそのチャンスやろか」
 夏樹も飛沢と同じ格好をして、水平線に近づいてきた太陽を見て言った。
 しかし、残念ながら太陽が水平線に沈む前に線路は海沿いを離れ、浜田駅に着いた。




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2009.04.20 / Top↑

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