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 鉄道研究会の活動は地味なもので、休みの日に自転車を駆って、オヤジのカメラと質屋で買った安い三脚を担ぎ、廃止される市電の路線を、撮影のベストポイント(自分たちはそう思っている)を求めて西へ東へ、北へ南へと走り回る。
 ここぞと思った場所に自転車を止め、おもむろに三脚を立てて、カメラをセットする。カメラと言っても一眼レフなどではない、いわゆる『バカチョンカメラ』より少し良いものである。一応、ピンとはあわせる、露出は自動かな?
 フィルムを巻き上げ、市電が来るのをひたすら待つ。時刻表などはないから、ただ待つ。その当時のカラーフィルムは高価で、現像、焼付けも高かった。カメラに入っているのはもっぱら白黒フィルムだった。

「おっ、来た来た」
「反対側からも来たで、ちょうどすれ違いが撮れそうやなあ」
「あっ、いま目の前を自転車のオッサンが通りよった」
「おれもや、せっかくのシャッターチャンスやったのに」
ガードレールに腰をおろし、次がくるのをまた待つ。
      市電①

                              市電②


 市電は比較的、次々と走ってくるから、待ち時間はあまり苦にはならなかったが、『日帰りローカル線の旅』の時は列車が来る時間は分かっていても、本数が少なく、待ち時間が長いのである。

 山陰本線、京都、二条駅間の高架化記念に四年(?)振りに蒸気機関車が走った。その時などは見物人があまりにも多く押し寄せたために、京都駅の出発が大幅に遅れ、やきもきしたものだった。
                     丹波口


 もっとひどかったのは、東海道線京阪百年記念事業で京都、大阪間を蒸気機関車が走った時だった。淀川の鉄橋を通過するSLをねらって、二時間も前から場所を取り、三脚を立てて待っていた。通過する時間が近づくにつれて、見物人がどんどんと増え、膝上まであった雑草は全て踏み固められて、二時間前とはまるで違う景色になるほどに人でいっぱいになった。
 ベストポジションと思っていたのに、いつの間にか夏樹の前には多くの見物人が、見るからに立派で高そうなカメラに大きな望遠レンズを付けて三脚に立てた人だかりができていた。

 そして予定の通過時間が来た。十分、二十分、いっこうに黒い煙は見えてこない。結局一時間後に、吹田駅付近でカメラを構えた少年が、SLと接触して怪我(スクラップブックを検証したら、亡くなったとある)をしたためにその場所で停車し、中止になった。巡回中のパトカーのスピーカーから聞こえてきたのだ。
 三時間も何を待っていたのだろうか。

 後になって分かったことだが、事故検分が終わった後に、電気機関車に引かれて、京都駅まで走ってきたそうだ。煙も出さずに、陽も落ちてあたりが暗くなってからだったそうだ。



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2008.07.03 / Top↑




 夏樹と飛沢は回数こそ減ったが相変わらずサイクリング部と、帰宅部後に音楽鑑賞クラブも盛んに活動をしていた。ビートルズの『赤版、青版』の四枚のレコードに関しては、いま聴いている曲の次は何か、すぐに分かるようになっていた。要するに、こればかり聞いていたのだ。

                       ビートルズ

 夏休みが近づいたころ、飛沢と赤川が小学校の時に同じクラスだったことが分かり、飛沢を鉄道研究会に誘い込んだ。

「夏休みに日帰りではなく、泊りがけで少し遠いところへ活動範囲を広げへんか」
赤川が切り出した。
「ええなあ。どこへ行こうか」
「餘部鉄橋を見に行かへんか」
「東洋一の大きさを誇る餘部か」
「面白そうやなあ。行こ行こ」
新加入の飛沢も乗り気である。
さっそく、地図を広げて場所の確認。兵庫県の北部、日本海に面したところにある。
「そしたら、京都駅を始発の鈍行に乗って行こう」
「午前中には餘部に着く。鉄橋のすぐ横が駅になってるから、駅に野宿しょうか」
「それがええなあ。寝台特急の『出雲』も見られるなあ」

          餘部3

                          餘部2


夏樹の親父はこの辺りの出身である。餘部のことも知っている。
「あほか、おまえは。餘部には駅はあるけど、駅舎はない」
「駅舎のない駅なんかあるかあ」
「考えが甘いなあ。おばあちゃんのところよりも田舎や、単線の線路の横に、ホームだけがある。ベンチぐらいはあったかも知れへんなあ」
「ほんまかいなあ」
「夜になったら、でっかい蚊が出てきて、さされたら大変や」

 脅しに屈したわけではないが、親戚の知り合いの民宿に泊まることにした。駅からすぐのところにある民宿なのだが、鉄橋の高さが四十一メートル、そのすぐ横にホームはある。くねくねと山道を降りてくるのは、少々大変だった。

 京都駅五時三十二分発の浜田行きの鈍行に乗り、およそ六時間の旅に出かけた。目的地は兵庫県香住町(現香美町)餘部駅。乗車車両はもちろん最後尾の最後列に席を陣取り、時々、最後尾の乗降デッキに向かい、風を感じるのである。少々危険が伴うが。



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2008.07.05 / Top↑



 餘部の一つ手前の鎧駅はトンネルとトンネルの間にある、小さな漁村の駅で、目の前に漁港が広がる。この駅を出てからはのぼりが続き、列車の速度はあまりあがらない。四つ目のトンネルを抜けると、いきなり視界が開けて右手の眼下に日本海が広がり、鉄橋上を走行している。
 鉄橋が終わるとすぐにホームが始まる、夏樹の親父が言っていたとおりに単線の線路の横にホームだけあり、五人も座ればいっぱいになるベンチに、屋根だけはついていた。

「これじゃあテントでもなかったら野宿はむりやなあ」
「山と、海、他にはほんまに何にもないなあ」
「まずは時刻表を見て、何時に何が来るか調べよか」
真夏の抜けるような空と、海の青が目に眩しい。
「なんか音せえへんか」
「上りの特急が来たで」
「カメラ、カメラ」
カメラを出す前に、この駅に止まらない特急『あさしお』がけたたましい音とともに風神のように通り過ぎていった。鉄橋にさしかかると、レールと車輪とのぶつかり合う金属音に鉄橋本体へ伝わった金属音も加わり、ますますけたたましく轟音となって村中に響き渡り、駅とは反対のトンネル側の山にこだました音までも響き渡った。

「残念、間に合わんかった」
「また、すぐに来る」
飛沢がにこっと笑顔で言った。
「あまいなあ」
夏樹と赤川が同時に口を開いた
「特急は一日に五往復ぐらい、鈍行は一時間に二往復かな」
「ここは京都みたいに、いっつも電車や列車が走るところとは違うのや」
本線とは言っても、単線の非電化路線。典型的なローカル線である。

「そろそろ上りの鈍行が来るで」
「三脚にカメラをセットして、どこから撮ろかな」
上り列車はまず、この駅に止まり、乗降を終えると鉄橋へと入っていく。三人の人が降りたが、乗る人はいなかった。



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2008.07.07 / Top↑


 列車が行ってしまうと、次の列車がくるまでに三十分から一時間の時間待ちとなる。真夏の炎天下での時間待ちは、ただただ暑いだけだ。目の前に海が広がっていても、泳ぎに行く時間はない。高さが四十一メートルの鉄橋のすぐ横にある駅から民家のあるところまでは、くねくねの山道を降りるのに十分近くかかり、登るのにはそれ以上かかる。海に行っている間に次の列車が来てしまう。海水浴が目的でここへ来たのではない、鉄橋を走る列車を見て、写真に撮って、鉄道研究会の活動としてきているのだ。

 時間待ちをしている間に、列車の最後尾のデッキにいる時よりも危険な体験をすることができた?してしまった?

「あと一時間はなんの列車も来いひんから、鉄橋を渡ってみいひんか」
「よし、行ってみよ」
 線路の枕木部分より五十センチほど下がったところに、金網の通路がある。横は夏樹たちの背丈よりも高い位置まで金網の壁が立っている。もちろん、保線用である。足元は四十一メートル下の、家や道路、田んぼが見える。
 あとで聞いた話では、餘部の人たちが隣の鎧へ行くのに、本数の少ない列車を待つより線路を歩いていったほうが、国道を通るより近道なのだそうだ。トンネルの中も通路があり、列車が着た時のための退避用の横穴も、数十メートルおきにあるようだ。

 足元から下が丸見え状態での歩行は、少々ビビリながらではあるが、海からの爽やかな風を受けて、三人はようやく鎧駅側のトンネルに着いた。こちら側から山を降りる道はないから、来た金網の通路をまた戻るしかない。
 ちょうど鉄橋の中間地点あたりだろうか『ピィーー』と警笛が聞こえてきた。鎧駅側のトンネルを入る合図の警笛だ。
「おいおい、あと三十分は来ないはずやなかったんか」
「あっ、貨物やで、きっと」
「また、貨物か。走ったって駅までは辿り着けへんで」
「しゃあない、この壁にへばりついて、通り過ぎるのを待つしかないなあ」
 やがて貨物列車はトンネルを出る合図の警笛を鳴らし鉄橋に入ってきた。駅には止まらないが、鉄橋上は徐行して走る。とはいえ地上四十一メートルの金網の通路の上、巾は一メートル少々、壁にへばりついても目の前に車輪が通過していく。




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2008.07.09 / Top↑

『ガタンガタン!ガタンガタン!』


 目の前に貨車の車輪が轟音を響き渡らせ通り過ぎて行く。
 耳に入ってくるのは車輪の轟音と、その振動が鉄橋に伝わった金属音しか聞こえない。自分の声さえも遮断されてしまい、貨物列車が通り過ぎる数十秒間は、実際の経過時間よりかなり長く感じた。生きた心地がしないとは、このようなことを言うのかと思った。

「ああ、怖かった」
「しばらくは、来いひんと思うてたのに」
「貨車はいつ来るか分からんからな」
「けど、おもろかったなあ」
飛沢は少し感じ方違ったようだ。

 午後三時ごろからは駅から山道を降りて、国道を海とは反対方向へ歩き、鉄橋全体を写真に収めた。そのあとに親戚の知人の民宿に入った。

                             餘部5


 二階の部屋からも鉄橋が遠望でき、真夜中にも鉄橋を通る列車の音が『カタンカタン、カタンカタン』と聞こえてきた。鉄っちゃんにとっては、なんとも心地のよい音だろうか。
 星空のとてもきれいな夜に、かすかに山影がうかがえるが、ほとんど何も見えない暗闇の中を列車の『カタンカタン、カタンカタン』の音とともに室内灯の帯だけが右から左へ、左から右へ流れって行った。

                         餘部4


 中学校時代の泊りがけローカル線鉄道研究会の旅は今回のみだった。いまの中学生は友達同士での泊りがけ旅行などは許可されているのだろうか。
 時刻表と地図を広げて、わいわいと計画を練るところからが旅のはじまり、とても楽しい時間だった。

 この当時の愛視聴テレビは『遠くへ行きたい』だった。毎週、かかさず見ていた。いつかは自分も日本中を旅してみたいと思っていた。
 今でもオープニングの曲を聴くとあの頃のことを思い出し、どこにも行かなくなった、行けなくなったいまを憂いている。
 旅はまだまだ始まったばかり、これからどんどんとエスカレート(?)していく。


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2008.07.14 / Top↑

 NHKの朝の連続テレビ小説で「てるてる家族」というドラマを放送していたことが、数年前にあった。大阪の池田市を舞台にパン屋を営み、娘四人の四女を中心に描かれたドラマである。BS放送の土曜日に一週間分を放送しているので、ビデオに録画して休みの日にゆっくりと見ている。

 とにかく、おもしろい。おそらく脇を固める出演者のほとんどが、関西の芸人さんだから、元関西住人が聞いても、ほとんどいやみのない上手な関西弁によるしゃべりがとてもよい。関西出身でない役者さんが役として関西弁を話すと、アクセントを誇張しすぎてしまうことが多い。そうすると、不自然な言葉となり、耳障りになってしまう。東北出身の人が「おしん」を見たときに、不自然な東北弁を感じたり、九州出身の人が西郷隆盛役の俳優のしゃべりを不愉快におもったり、されたこともあるだろう。

 NHKらしくないと言えばあまりに抽象的だが、従来の硬いイメージがなく、その場面にぴったりの照れ隠しのボケに、まったくいやみのない突っ込みが飛んでくる。まるで大阪漫才を見ているような、ボケと突っ込み。その、絶妙な間合い。なぜかボケの台詞も突っ込みの台詞も、役者さんが話す前に見えてくる。それだけ関西人には心地よい軽快なリズムというか、関西人の生活のリズムにちょうどあっているように思う。

 以前、頻繁に旅行をしていたころに、泊るのはユースホステルが多かった。
さまざまな地方の人たちと、初対面なのにいろんな話ができるから楽しい、それが最大の旅の目的かもしれない。最初はさまざまな地方の方言が飛び交い、お国の良いところ、変わった方言などの会話で少しずつ盛り上がってくる。

 僕を含めて関西人は常にボケをかましたり、突っ込みを入れたりと、笑いを取ろうとするのだ。関西人の性なのだろうか、そんな会話でないとなんとなく落ち着かない。関西人が二人いれば完全に漫才会話になってしまう。
 会話が進むと、いつの間にか関西弁を話し出す人が出てくる。関西出身でもないのに言葉尻に関西風のアクセントで話し出す人がいるのだ。無意識に出てくるらしい。するとすかさず突っ込みが入る
「あっ、関西弁がうつったな。おもろいやっちゃなあ」
と、ますます場が和み、笑いがおおいに起きてくる。

 あるCMで「関西弁をしゃべる宇宙人」と言うのがあるが、若者を中心にお笑いブームが再来しているいま、そんな真剣な笑いがこの不景気、荒れた世の中を吹き飛ばしてくれるのとちゃうやろか。



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2008.07.16 / Top↑


 車に乗って信号待ちしていたら、前の乗用車の運転手が左手に携帯電話を耳にあてているのが見えた。よくある光景だ。間もなく青に変わり左折しようとしたが、携帯片手のおねえさんの車は前には進まない。僕の後ろにも車が何台か待っている。クラクションを一回鳴らすと,慌てる様子も無く、ウインカーも出さずにゆっくりと、ふらふらと左折した。止まることも無く、普通に前へ進むことも無くふらふらとしている。対向車が来るから、追い越しも出来ない。かなり頭に血が上り始めているとわかった瞬間、クラクションを少し長く押していた。するとその乗用車はウインカーも点けずにセンターラインよりに止まった。車は動かないが手には携帯を耳にあてている。対向車の切れ間を見てクラクションをかなり長めに押しながら、その車の右側に出て横に並んだ時、おねえさんと目があった。
『バカヤロウ』(不適切な発言、表現がありお詫びします)
と叫んでいた。そのときのおねえさんは『何よう、うるさいなあ』と携帯を耳にあてたままで言ったように聞こえた。「いまどきの茶髪のおねえさんである」皆さんもこの不適切発言したくなるでしょ。

 毎日くるまに乗って走っていると、交通マナーの悪い人を良く見かける。年々増えているような気がする。脇道から確認もそこそこに飛び出したり、曲がる直前でウインカーをつけたり、一日に何回もヒヤッとさせられる。スーパーなどの駐車スペースでも障害者用の場所に堂々と止める人、白線の外に二台もはみ出して止める人、明らかに邪魔になる所での人の乗り降りする人。
「いまどきの若いものは・・・」と僕が若い時から言われて来た。僕らの少し年下の人たちは「新人類」その少し下の人たちは「新、新人類」と呼ばれた。今の若い人たちはなんて呼ばれているのだろうか。

 阪神大震災、日本海で重油の流出事故などのボランティアとして頑張った人は、茶髪の若い人が多かったと聞いている。
 もちろん、若い茶髪の人たちの無謀運転も目に付くこともしばしばある。しかし、この交通マナーの悪い人は若い人より、僕より明らかに年上の人が多いようだ。
おじさん、おばさん(僕より年上の人ならこう呼んでも怒られないかな)が若い人たちの見本としてしっかりしないと、これからの世の中を背負っていく若い人たちが困るのだと思う。自分の子供にも、悪いことは悪いとはっきりと教えなければいけないのだ。自分の子供の機嫌取りする必要はないのだから。

 よその子を叱(しか)る怖いおじさんが近所に居なくなったとよく言われる。自ら嫌われるのはだれだって好まないだろう、せめて良い見本にならないといけないと、自らもそう思うのである。このままでは、
『いまどきのおじさん、おばさんは・・・』となってしまうのだろか。僕も気をつけよう。





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2008.07.18 / Top↑
 長いような、短かった中学校生活の三年間が終わり、たまたま飛沢と赤川は同じ高校へ、夏樹は別の高校へ行くことになった。
 違う高校へ通うようになっても、夏樹と飛沢のサイクリング部、音楽鑑賞クラブは二ヶ月に一回ぐらいの活動は行っていた。もちろん鉄道研究会も活動は続けていた。

 夏樹の通っていた高校には鉄道研究会もあったのだが、籍だけ置いてほとんど行かなかった。週に一度だけ出欠を取ったら、あとは何もなかった。
 文化祭で鉄道模型の簡単なレイアウトを作り運転会をするのが、唯一の活動だった。夏樹はそれも参加しなかった。先輩たちも勝手に楽しんでいたし、今で言うところの『オタク』と言う表現が適切な感じの人たちだった。
(夏樹もほとんど『鉄オタ』であるが)

 文化部は大学並に種類が多く、二十クラブぐらいあっただろうか。鉄道研究会をはじめ、聖書研究、映画研究、生録同好会(まだまだ、ラジカセが高級品だったころに、テレビ局で使うような録音機、マイクなどを持ち出し、祭りや、街の様々な音を集めていた)釣りクラブ(部員はとにかく多かったが、実態は不明)サイクリング部(実際には自転車部のようっだた)軽音楽部(テレビのオーディション番組に出演した奴もいた)ユースホステルクラブ(読んで字の如く、ユースホステルを使って旅行をするクラブ。夏樹の二つ目の在籍クラブ)いまもあるのかな。

 そうだ、落研(落語漫才研究会)もあった。芸能祭ではちゃんと高座を作り、落語をやっていた奴もいた。
 
 体育部にも少々変わったのがあった。大きな川や湖が近くにないのにボート部(市内では強かったようだ。対抗高が少なかったのかな)冬しかスケートができないのにスケート部、山まではかなり遠いけれどスキー部、山岳部。
 山岳部は大会で優秀な成績を上げたように思う。

 夏樹にとっての部活動は、趣味の世界を広げる手段だった。遊び半分のような軽い気持ちで、三つ目の写真部にも在籍していた。けっきょくどれもが中途半端になってしまったが、ユースホステルを使ってクラブ活動としての旅行は二回行った。

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2008.07.20 / Top↑




「夏樹、今度の日曜日に俺んちに、来いひんか」
 飛沢からの電話がかかってきた。
「新しいレコードを買ってきたんや、聞きに来いよ」
「あぁ、ええよ。昼から行くわ」
 飛沢は洋楽を中心にレコードを買ったり、友達から借りたりしては、夏樹に声を掛けて、飛沢の家の親父さんのステレオで鑑賞会を開いた。いつも二人だけだった。夏樹が気に入るとテープに録音してくれた。

 夏樹も近くの電気店で安いラジカセが売りに出ていたのを、妹と折半でようやく手に入れた。買うのに出した金額は折半でも、八割がたは夏樹が使っていた。正直なところ、妹はあまり音楽に興味はなかったようだが、夏樹にはお金がなかったし、父親には買ってもらえるわけも無く、妹を説得して半分の金額を出させたのであった。
 そのラジカセで、毎日、何回もテープを聴いていた。
 
 こうやって音楽鑑賞会を開きながら、サイクリング同好会の打ち合わせも行う。通う高校が違うのに、二人はこうして集まっては親交を深めていった。だからと言ってそれぞれの通う高校には、それなりに友達はいた。特に飛沢はいままで以上に友達作りに精を出していたようだ。いや、自然と飛沢の周りに人が集まり、なんとなく友達が増えていったと言うほうが、正しいのかもしれない。
 飛沢の家に行っての会話の中には、彼が通う高校での友達の話も多く聞かれた。レコードもその友達たちから借りてきていた。

「今日は、オリビア・ニュートン・ジョンや」
高い音の声、なめらかなで心地良いメロディーを聞き、いつものように詩の内容は二の次、耳に入ってくる音を何も考えずに、単純に楽しむ。そして気に入るとテープに録音して、また毎日、何回も聞き返すのである。
「なんや知らんけど、えぇ曲やなあ」
「そやろ、おれも気に入ってる」
「また、テープに録ってもうてもええかあ」
「ええよ」
「そしたら、すぐに持ってくるは、こないだ買うたのがあるや」

 レコードだけでは飽き足らず、FMラジオでエアチェックしたテープも聞きあさっては、見識を広げ、番組表が載っている雑誌を買って、アーティストの特集を録音して、テープのコレクションを増やしていった。全てが飛沢のおかげである。
 アルバイトで稼いだお金でアンプとチューナーを買うまでは(スピーカーは夏樹の六歳年上の従兄弟から貰う約束をしていた)、ずっと飛沢が録音してくれた。
 感謝、感謝である。


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2008.07.22 / Top↑

 高校生活もだいぶなれて、二学期の文化祭が近づいてきたころだった。
 「ユースホステルってなんや」
 夏樹の高校の同級生の本村が退屈そうに言った。ユースホステルの意味すら分からずに、このクラブに入部届けを出した、不届きものである。こんな輩が他に三人いた。夏樹を含めて三人はユースホステルのことを一応は知っていたが、『安くて、若者向けの宿』この程度の知識しかなかった。

 今はとても便利な時代。辞書など引かずともインターネットで検索すれば何でも知ることができる。そこで、あらためて「ユースホステル」について調べてみた。
 「だれでも安全に、安く、楽しく泊まれる宿。部屋は男女別で四人から八人ぐらいの相部屋、二段ベッドか畳の部屋。食事、シーツのセットはセルフサービス。同宿の仲間とすぐに親しくなれるところ」
 だいたいこのようなことが書いてあった。

「たしか、食事のあとにミーティングがあって、泊まった人たちが集まって、話したり、ゲームしたり、歌を歌ったりするみたいやでぇ」
多少は知識のある安達が、部室の外に見えるサッカー部の練習を見ながらしゃべった。
「なにそれぇ、めんどくさいなあ」
 本村と同じく何も知識の無い田端が言った。

 だいたい、なぜユースホステルのことを知らない者どもが、この部に入ったのか。先輩部員がだれもいない休部状態の部であることを、少しだけユースホステルの知識のある逢坂が聞きつけてきた。こんな部でも一応は部室というものがある。教室からは少し離れて、グランドに面したところに部室がある。ようするにその部室に興味があったのだ。クラスの仲間とタムロできる場所をうまく見つけてきたのである。タムロして何をするわけでもない、ただ先生の目の届きににくい場所を見つけたのである。

「三年前から休部やったし、まあ顧問の先生も他の部の顧問もやっていて、あまり多くを望んでないみたいやし」
 ため息混じりにみんなを見渡しながら、夏樹が言った。
「けど、ここで悪いことするのはやめような」
「タバコなんか吸うてるところを見つかったら、すぐに部室を使えんようになるで」
 相変わらずサッカー部の練習を見ている安達が言った。
「そやな、せっかく見つけた隠れ家みたいなもんやさかいなあ、おい本村、ここでは吸うのやめろよ」
「なにい。田端、おまえには言われとうは無いで」
本村が少し声を荒げた。


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2008.07.25 / Top↑


「一応、部長を決めなあかんやろ」
「そりゃそーだ」
「この部屋を見つけてきた逢坂がええのとちゃうか」
「そやなあ」
「ユースホステルのことを一番くわしいし」
「うん、それがええなあ」
さっそく、七人はユースホステル部の部室にタムロして、だれとも無くこんな会話がされて、なんとなく逢坂に部長をやってもらうことになった。なぜか逢坂も嫌がらなかったから、すぐに決まった。

「先生がとりあえず一泊でもええから、どっかへ行こうって、言うてはったで」
職員室へ部長就任の挨拶をすませてきた逢坂が、顧問の先生からの伝言を言った。
「冬休みはバイトで忙しいでえ」
田端が口早に話した。
「おれも」
「おれもやで」
「夏休みで貰ったバイト代で、ギター買うたから、金ないし」
「冬や休みはちょっと無理みたいですって先生に言うとくは」
逢坂が話しもそこそこに部室を出て行った。
「あいつも冬休みにバイトするから、正月の元旦しか遊べへんて言ううてた」
逢坂と同じ中学校の岡村が、小さな声でつぶやいた。

 数分後に逢坂が戻ってきた。
「冬休みが駄目なら、春休みに行く計画をしっかりと立てとくようにって」
「ユースって会員にならんと、あかんのとちゃうの」
夏樹が少し知っている知識を話した。
「D百貨店にユースホステルの事務局があったはずやなあ」
さすが部長、一番いろんなことを知っている。
「明日は土曜日やし、学校の帰りに行かへんかあ」
「おい上田、お前はええよ、家の近くやから、あの百貨店は」
田端が大きな声で、少々威圧的な言い方をした。
「おれらは学校とは反対方向や、月末の金無い虫には、そこまで行くバス賃も、ましてや入会金を払う金なんかあるはずがないやろ、なあ夏樹」
「その通り、上田と逢坂と岡村の三人でとりあえず様子を見て来いよ。詳しいことを」
田端は夏樹と同じ方向にある中学校から来た。時々、一緒に帰ることもあった。
「分かった、明日の帰りに寄ってくるは。上田も行くやろ」
「しゃあないなあ」
「おれも行かなあかんの」
「岡村!いつも一緒に帰ってんのやから、当たり前やろ」
岡村は下を見ながら小さな声でうなずいた。


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2008.07.27 / Top↑


 ユースホステルの会員になるには、難しい手続きは必要なく、簡単にできると逢坂たち三人は下調べに行ってきたことを部室で報告した。顔写真が必要なので、スピード写真に寄って、そのままD百貨店のユースホステル協会事務局へ行くことにした。
「冬休みが終わってからな」
「おれも、そうしてほしい。冬休みにバイトして残しておくは」
田端と本村が遠慮ぎみにぼそぼそと言った。

「さて、会員証についてはこれでよし。問題はどこへ行くかやな」
「何泊するんや、それによっていくとこも変わるやろ」
「何泊って、そんな長いことどっかへ行くのか」
「はじめてやから、一泊でええのとちゃうか」
「まあ、どこでもええけど」
もともとこの部へ入部したきっかけが、先生の目が届きにくくて、タムロできるところと、とても不順な理由なので、旅とか旅行とかにはほとんど知識も、希望もましてや理想などもなく、できればどこへも行かないほうが良いなあと思っている輩が多く、積極的に意見を出しての話し合いなどはありえないのだ。

「やっぱりなあ、はじめてやから一泊でいけるところで、手ごろなとこて言うたら、奈良方面はどや」
部長の逢坂が提案した。
「せっかく行くのに一泊ではもったいないで、二泊にして飛鳥、吉野まで足を伸ばそうや。桜には少し早いけどな」
夏樹がようやく口を開いた。彼にとって飛鳥、吉野方面は未開の地域だ。飛沢とのサイクリングクラブでは京都より南方向へは行ったことがなかった。南方向は交通量が多く、自転車で向かうには少々難しいからだ。

「たしか、そこのロッカーに奈良のガイドブックがあったはずやなあ」
「安達、お前いつの間にこのロッカーの中を調べたんや」
田端が不思議そうな顔をして聞いた。
「いつの間にって、初めてここへ来た時に逢坂と夏樹と三人で見たんや」
「一応、一通り全部見た。どういう所か分かっとかんとなあ」
逢坂が当たり前のことをしただけだ、といった口ぶりだ。
「けっこう色んなもんが入ってるで、旅の情報誌とか、地図や時刻表とか。時刻表はちょっと古いけど、中には古すぎて、おれには興味あるなあ」
夏樹が得意げに話した。



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2008.07.30 / Top↑

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