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 一両編成のディーゼルカーが停車した。駅に着いたと思った。しかし駅舎らしき建物もなく、ホームも見えない。どうしたのだろう、と思って車内や、窓の外をキョロキョロしていると、運転手さんが運転に使うレバーを持って、小走りに後ろへ行った。すると後ろからは車掌さんがまた、小走りに前へと走って行った。
 まもなく一両のディーゼルカーは今まで走っていたのとは逆の方へ動き出したのだ。

「いよいよこれがスイッチバックの最初の折り返しなんや」
 夏樹と安達は興味津々で、まだ山のあちらこちらに雪が残っていて、外は寒い。しかし、そんなことなどお構いなしに窓を大きく開けて、進行方向の左側に身を乗り出すように外を見た。
「この列車は下ってるけど、左側に上って行く線路が見えるで」
 夏樹の声が少し浮付いているようだ。
「そやなあ、ここを下って今、最初の折り返しで、さらに下って出雲坂根の駅に入っていくんやな」
 下りの線路をエンジン音も静かに、ゆっくりと進んだ、まもなく大きなダブルクロスのポイントを超えて小さな駅に滑り込んだ。

 駅舎も小さく、狭く短いホームにはこのディーゼルカーに乗ろうとする人はなく、降りたのも夏樹と安達だけだった。
「どちらへ行かれるの」
 駅員さんが声を掛けてきた。
「いえ、どこへも行きません。この駅に来たんです」
「じゃあ降りないの」
「いいえ降ります」
「降りるのだったら、切符を下さい」
「いや、駅からは出ません。次の下り列車が来るまで、この駅にいます」
「次の下りは二時間後にならないと、来ないですよ」
 胸の名札には駅長と書いてある。小さい駅だから駅長さん一人で何でもやらなければならいのだろう。

「二時間後ですか、それはまずいなあ、出雲まで着かなくなっちゃうなあ」
「夏樹、そこまでは計算せんかったんか」
「今乗ってきた列車は、登りの急行がくるので、ここに三十分止まってますよ」
 駅長さんが教えてくれた。
「えっ、三十分ですか。じゃあこの列車が出発するまで、この辺りをうろうろしています」

 夏樹と安達はカメラを取り出し、出雲坂根駅のホームを走り出した。



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2008.12.01 / Top↑



 列車が五両も止まれば一杯になるような短いホームの端から端までいったり、小さな駅舎から外に出て見たり、カメラを片手にうろうろしていると、『プアーーン』登りの急行列車がゆっくりとホーム入ってきた。
「駅長さん、まだ十五分しか過ぎてませんけど」
「先にこの急行が出発して、十分後に下りが発車します。だから、まだ大丈夫ですよ、ゆっくりと写真を撮って下さい」
「じゃあまだうろうろできるなあ」

              出雲坂根4            出雲坂根3


「急行が発車して五分後にここへ来てください、あそこをこの急行列車が通るのが見えますから」
 といいながら駅舎とは反対側の山の上の方を駅長さんが、指差しして教えてくれた。

                           出雲坂根5


 ホームのずっと上の山の斜面を通る急行列車も撮し、小さい駅のダブルくロスも撮した。夏樹と安達はカメラをバッグに片付けて下りの列車に乗り込んだ。
「駅長さん、ありがとうございました」
「いえいえ、良い旅をお続けください」


                           出雲坂根2



 下りの一両のディーゼルカーは、定刻に宍道駅を目指して発車した。


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2008.12.04 / Top↑



 夏樹たちは高校三年生になり、飛沢と石田、赤川は受験モードに入り、鉄道研究会とサイクリング同好会は休部状態になった。
 夏樹や、安達たちは就職活動というより、仕事探しがはじまった。当時はそこそこに景気も良かったのか、求人はけっこうあったように思う。毎日のように職員室にいき、求人票を見に行った。
 就職組みは夏休み中に各企業へ、会社見学に足を運び、また学校へ行って違う会社の求人票を見ては会社見学に行った。

 夏樹は夏休み中にアルバイトに行っていた会社の紹介で、そこの取引先にアルバイト先の社長と一緒に見学に行った。
「夏樹君、せっかく、うちの会社の仕事を覚えたんやからこのまま、うちに居てくれへんか」
「ありがとうございます。でも、俺がやってみたいことは、いま紹介していただくような会社なんです」
「確かにあそこは、これから成長していくであろう会社やし、うちと共に頑張っておおきくなりたいと思ってる。けど、うちの方が給料はええで、少しやけどな」
「ほんとに、社長をはじめ皆さんには良くしていただきました。仕事だけではなく、いろんなことを教えていただきました、とても勉強になりました。もし、いま紹介していただく会社で不採用になったら、拾っていただけますか」
「そうかあ、分かった、その時はまかしとき」

 従業員が五十人ほどの小さな染物工場だけれど、社長はまだ三十四歳。従業員もほとんどが二十代の若い会社である。
 ひと通り工場を見学してから、社長と専務、総務部長、そしてアルバイト先の社長と夏樹の五人で、ほとんど雑談のような会話がはじまった。
「社長、ものすごうエエ青年やから、ほんまはうちに来てほしいんやけど、どうしてもお宅みたいなところで、仕事をしたいて言うから、何とか頼みますわ」
 アルバイト先の社長が夏樹のことを紹介した。

「川田はんがそう言うんやったら、何も問題ないやろ。ところで夏樹君やったかいなあ、なんかスポーツはしてたんか」
 染物工場の社長が大きな体を、ゆっくりと夏樹の方へ乗り出すように言った。
「いいえ、スポーツは好きですが、部活としては何もやってなかったです」
「そやそや、もし彼をお宅での採用が決まっても、うちの野球の試合の時は、しばらくの間は貸してや、Bチームのエースなんや」
 川田社長が微笑みながら言った。





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2008.12.15 / Top↑





「夏樹君、野球をやってたんか」
「いいえ、本格的にピッチャーをやったんは、川田さんのところが初めてなんです」
「社長、うちのBチームて言うたやろ。Aチームは経験者が多いし、大会でも上位を狙えるけど、Bチームは俺がキャプテンで一番を打つチームや、まだ一勝もしてなかったんやけどな、こないだの練習試合で彼が投げてくれたから、初めて勝ったんや」
 アルバイト先の社長が誇らしげに、初勝利を語った。川田社長がキャプテンである理由は分かるが、なぜ一番を打つのかは、単に一回でも多く打順が回ってくるからである。社長としての特権と言える。

「川田さん、勝ったって言うても、相手は五十才以上の人たちのチームやったし、毎回のようにフォアーボールでランナーを出してた、ノーコンピッチャーです」
「けど、球は速かったでえ、外野にはあんまり飛ばんかったしなあ」
「あっそうかあ、昼休みにわしとキャッチボールをしてくれる相手が出来そうやなあ」
「それって、採用決定ということですか」
 夏樹は心の中で小さく言った。

 夏休みが終り、二学期がはじまるとクラスの就職組たちには、採用試験の通知が届きはじめた。就職試験の解禁は十月一日だった。多くの就職を希望するものは、その日に試験を受けに行った。
 しかし、夏樹には採用試験の通知が来なかった。就職試験の解禁が十月一日とは言っても、十月になってから試験日の通知が届く企業もあった。
 夏樹はアルバイト先の社長に紹介してもらった会社だけに絞っていたから、毎日、試験の通知が届かないことに少しあせっていた。
 十月の十日ごろになると就職を希望するもの全員に、試験日の通知が届いた。夏樹の希望する会社からは、学校に求人が来ていないので、自分で会社へ電話して直接聞いた。

 電話の向こうには染物工場の総務部長が応対した。
「こないだのが面接試験ですから、あまり早くに採用通知を送ると何かと不都合なんで、そろそろ送りますから」
 夏樹はようやく気持ちが落ち着いた。



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2008.12.17 / Top↑





「ひさしぶり、夏樹やけど」
 二ヵ月ぶりぐらいだろうか、受験モードに入っていた飛沢に電話をかけた。
「勉強は捗ってるかあ。おれなあ、一応、就職決まったんや」
「そうか、おめでとさん。たまには会おうか、うちに来いよ、新しいレコードはないけど、俺もたまには息抜きや」
「よっしゃ、今すぐに行くわ」

 飛沢の家ではいつものように、ステレオで何かしらの音楽を聴きながら、他愛のない会話が続く。今日は、夏樹を音楽の世界に熱中させる切っ掛けになった、ザ・ビートルズの「1962~1966」いわゆる赤版を聴きながら、近況などを報告しあった。

「どうやあ勉強のほうは、受ける学校は決まってんのかあ」
「三つほど決まってる。本命のとこはちょっと難しいんやけど、今からでも何とか頑張ればいけるって言うてくれてる」
 飛沢は受験に向けて、家庭教師を頼んだのだ。その先生に難しいが、今からでも真剣に勉強をすれば大丈夫、と言われているようだ。
「夏樹も就職が決まってよかったなあ。どこにあるんや、そこの会社は」
「市内やけどなあ、寮があるんや、基本的には全員が寮に入るらしいは」
 その時ちょうどA面の最後の曲『キャント・バイ・ミー・ラヴ』が終り、レコードプレーヤーの針が自動で戻っていった。

 飛沢はレコードプレーヤーのターンテーブルに載っているレコードをA面からB面へ載せ換えて、静かにレコード針を置いた。
『ア・ハード・デイズ・ナイト』邦名は『ビートルズがやって来る!』がはじまった。

「寮に入るということは、家を出て行くことか、市内やのに寮に入るんか」
「ああ、親元を離れて、ある程度は自分自身で生活して、なんて言うのかなあ、こう言うの」
「自立か」
「そうそう自立した生活って言うやつよ」


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2008.12.19 / Top↑





 夏樹にとっての父親は、とにかく厳しく、怖い存在であった。箸の持ち方が悪いと言って怒られ、母親への口の利き方が悪いと言っては叱られていた。礼儀とかマナーにはとかく厳しく、ことあるごとに口うるさく叱責されていた。
「俺が夏樹の家に言ったときは、普通の親父さんやったけどなあ、時々つまらんギャグを飛ばす、おもろい人と言う感じやったけどなあ」
「いや、べつに親父が嫌で家を出るわけやないで、あくまでも自立するためや」

 礼儀やマナーにうるさく厳しい父親ではあるが、人生訓のようなものも度々聞かされていた。
「太い筋が一本通っていれば、他人が何を言おうが、自分の進む道をまっすぐに進め。それが人間や、それが男や」
 これが夏樹の父親の口癖だった。
 何事も自分自身で決めたことは信念を持ち、それに向かって進むためには、他人がいろんなことを言って来ることもあるだろうが、ぶれることなく突き進むことが必要なのだ。高校入試、就職、そのことによって家を出て寮に入ること、将来的な話になるが、故郷を離れ遠くの地に暮らすことになっても、反対されたことはない。
「お前が、自分自身で考えて決めたことに対しては、何も反対する理由はない。信じる道を進めばええから、ただ、中途半端なことはするなよ」
 こう言っていつも送り出してくれた。

「自立と言うても、家からはわりと近い所に会社と寮があるから、休みの日はすぐに帰れるしな」
「それはあかんは、何のために親元を離れて自立するんや、あんまり意味がないのとちゃうか、せめて一ヶ月に一回ぐらいにしとかんとなあ」
「やっぱり。まあ、行ってみんと、どうなるか分からへんけどなあ」

 ザ・ビートルズ「1962~1966」のA面最後の曲「イエスタデイ」が終り、レコードプレーヤーの針が自動で戻っていった。







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2008.12.22 / Top↑





「石田も同じ大学を受ける予定なんやろ」
「たまたまな、三つ受けるうちの二つやけどな、お互いに何処に入れるかは、結果次第やな。同じところに行くか、別々になるか」
「赤川はどこへ行こうとしてるんや、ぜんぜん連絡もないし、俺も電話を掛けたりしてへんなあ」
「俺も知らんわ」

「来年の二月の末までには何処の大学に行くか分かるんか」
「そやなあ、卒業式までには決まると思うわ」
「そしたら卒業式の次の日から、旅行に行かへんか」
「ええ、卒業式の次の日からか」
「卒業式が三月の一日で、俺の入社が三月の二十日なんや。そやから、あんまりゆっくりもしてられへんやろ」
「ゆっくりって何日の旅行をするつもりや」
「一週間ぐらい」
「一週間?何処へ行くんや」
「西本州一週」
「山陰ワイド周遊券て言うのがあってな、それを使うと安く、あっちこっちに行けるんや」

 夏樹は一人、密かに暖めていた計画を飛沢に話はじめた。
 山口県の長門市駅が自由周遊区間の西端で、東端は京都府の東舞鶴駅。その間の山口県、島根県、鳥取県、兵庫県,京都府の国鉄バス(現JRバス)路線を含めた国鉄全路線を自由に周遊できる切符である。
 この自由周遊区間内へは国鉄路線の、ほぼ何処からでもはいれる。そこまでの運賃を含んだ料金となる。また出発地から自由周遊区間までの路線上も、途中下車が自由だ。

 京都から山陽線を利用して途中の倉敷で途中下車し、小郡から山口線の津和野経由で山陰線に入ることが出来る。これで西本州を一周することが出来る。
 また、山陰ワイド周遊券には特典(?)がある。自由周遊区間内では特急の自由席が利用できる。一般的には、特急料金は乗車券の三十パーセントぐらいの料金がかかるが、周遊券を持っていれば特急料金なしで乗れる。

「おもしろそうやなあ、石田と赤川にも聞いて見るわ」
「大体の計画は俺が考えとくは、そやから勉強がんばってや。試験が終わったらみんなで詳しい計画を作ろうや」

 ザ・ビートルズ「1962~1966」のB面を聞き終わったら夏樹は帰ることにした。



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2008.12.24 / Top↑





 三月一日。各地の高校で卒業式が行われた。京都のこの時期としては珍しく大雪となった、夏樹の通う高校の校長先生はあいさつの中でこの大雪を見てこう言った、ような記憶がある。
「皆さんはこれから新たな道へ向かって行くのだけれど、今日の雪は君たちの行く先の困難を暗示しているのかも知れない。辛いことのほうが多いと思うが、がんばってください」
 この先の困難が、どんな困難なのか、今ならよくわかる。

 卒業式は午前中で終り、午後からは謝恩会となった。その当時、謝恩会と言ったか、言わないか、定かではない。
 頭脳明晰の生徒は少なく、ほとんどが就職することとなった夏樹たちのクラスメートは、いったん帰宅して学生服を脱ぎ、一張羅の私服に着替えて街に繰り出した。今の高校を卒業する若者よりも大人に憧れていたのだろうか、男はネクタイ姿の奴らが多かった。女子も学校では禁止されていた化粧を、いつの間に覚えたのか、それなりに大人っぽく変身してあらわれた。

 現在の謝恩会の主役は先生と親のようだが(いま住んでいる地域だけかな?)夏樹のクラスの謝恩会は先生と、生徒だけで宴会がはじまった。

「いやあ、色々なことが、事件があったけれど、全員の進路も決まり、とても楽しい三年間でした。みんな、ありがとう」
 三年間クラス替えもなく、三年間同じ担任の先生があいさつをした。
「乾杯」

 二年になるときに一人、三年になるときに一人、三月までのクラスに残った。事故と病だった。
 でもバレーボールの球技大会では三年連続優勝した。それなりにまとまっていたのだと思う。

「夏樹君、ありがとね、いっつもノートを写させてくれて、それと授業中の睡眠を快適にするために壁になってくれて、ほんとうにありがとう」
 泣きながら、時々言葉を詰まらせながら、三年の二学期の時に夏樹の後ろの席だった女子が大きく頭を下げて言った。(少し酔ったのかな、時効ですよね?)
 夏樹が居眠りしていると、『あんたがそうやって寝てたら、私が隠れへんやろ』って「おれの睡眠を邪魔しただろう」と心の中で言った



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2008.12.26 / Top↑





 昨夜の謝恩会は最後まで笑いが絶えない会となったが、終わる頃には女子の全員が大泣き状態で終宴、お開きとなった。夏樹は帰りのバスの中で具合が悪くなり、途中でいったん下車してしまった。

 それでも翌日の朝七時ごろに京都駅からの東海道線下り普通列車に乗り、三人の旅がはじまった。赤川は行けなくなってしまった。
 飛沢と、石田は二人とも同じ大学に行くことが決まった。二人とも本当に行きたかった大学に通うことは叶わなかったようだけれど、春からは大学生となる。

 いつもは山陰線での出発が多いのだけれど、今回は初めて東海道線、山陽線と進路を真西に向かう旅となった。
「窓を背にしての横一列シートの電車という奴は、どうもこの今ひとつ好きになれへんなあ」

 夏樹にとっての鉄道の旅、旅行は四人掛けのボックス席の列車で出かけるものなのだ。小さい頃から父親の郷里への鈍行列車に乗っての移動が、彼にとっての旅の原点だからである。いまでも通勤電車や、都会近郊の私鉄電車、新幹線にはあまり興味はなく、新幹線に乗っての移動は、あくまでも移動であって、旅の概念はない。

 ところが寝台特急に乗ることになった時などは、乗る何日も前から心が落ち着かず、何も見えない車窓を見ては心が踊り、夜中に駅に止まり目が覚めてしまったときなどは、何処の駅なのか確認しないと、再び布団に入ることが出来ないでいる。
 ましてや、何処の駅か確認できずに駅を離れてしまうと、ますます目が冴えてしまう。そんな時は時刻表を開き、時計を見て、今の駅が何処だったのかを調べてからでないと、ゆっくりと寝られないのである。

「それに、窓の外はビルや工場の建物しか見えへん。俺もしばらくは通学の延長みたいで、おもろないなあ」
 飛沢も夏樹の影響が大きく出てきているようだ。



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2008.12.29 / Top↑





 本文に入る前に私の拙い文章を読んでくださる皆さんへ一言、御礼申しあげます。
 今年の四月から始めましたブログも今回で百回となりました。正直こんなに続くとは思っていませんでした。読んでくださる方がいらっしゃるということが、励みとなりここまで来ることが出来ました。ありがとうございます。これからもよろしくお願いいたします。
 今回が偶然にも本年最後の更新となろうかと思います。皆様にとって来る平成二十一年がよい年でありますよう、お祈りしています。



 京都を出てからは通勤、通学の人並みが、乗り降りしていた。三人は高校の卒業式をきのう終えて、今日から休みだけれど、世間一般の人たちは年度末で忙しいのだ。おそらく。
 目の前には多くの人が立っているので、三人での会話もままならず、その人たちの間から、かいま見える車窓に何か面白いものがないか、きょろきょろとしたり、入れ替わり、立ち代りする乗客を観察したりするようになっていた。
 自分の座っているすぐ後ろに窓はあるが、幼稚園児のように窓に向かって膝を突き、吊革を持って立っている目の前の乗客に足の裏を見せ付けて座るわけには行かず、黙って向かいの窓の景色を見るでもなく、人間ウオッチングをするでもなく、手持ち無沙汰な状態が続いた。

 神戸を過ぎた頃からは、目の前に立つ人たちの間からは、海が頻繁に見えるようになった。須磨を過ぎた頃には乗客もだいぶ減り、立っている人はまばらになり、向かいの車窓も、よりはっきりと見えるようになった。また、ビルや工場群は減り海水浴が出来るような海岸線が見えるようになった。三人での会話も出来るようになり、ようやく旅の気分が出てきた。


「今日は倉敷まで行くんやろ」
 石田が口火を切って話し始めた。
「うん。昼ごろには着くで、山陽路で観光できるところと言えば、とりあえず倉敷の『美観地区』かなと思ってな」
「今回の旅行の計画は、石田と俺の進路がなかなか決まらんかったから、夏樹に全部まかせてしもうたなあ」
「なんにも気にせんでええねんで、俺は早ように就職先が決まって、学校にも行ったかて何をするわけでもなく、毎日が暇やったさかいになあ、ちょうどよかったんや」
「ほな、倉敷から後の予定をもう一回聞かせてくれへんか」
 石田は卒業式の前の日まで、合格発表後の手続きや、卒業生代表の答辞の準備で忙しく、旅の計画をまだ話していなかった。きょう会うのが今年になってから二回目だったのだ。

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2008.12.31 / Top↑

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