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 飛沢、夏樹、野々口は、たまたま席が近かっただけだけれど、入学式の次の日からは旧知の友のように、テレビの番組のこと、アイドルのこと、部活のこと、授業のこと、そして女の子のことなどなど、他愛無い話に夢中になっていた。
 四月の末ごろには部活動に入るものは、みな入部届けを出した。野々口はサッカー部に入った。
 飛沢、夏樹、二人の部活動は帰宅部、もしくは遊部だった。ほとんど毎日のように二人で帰宅部活動をしていた。
 こうして夏樹と飛沢は運命的な出会いをして、ここから深み(?)にはまっていくこととなる。

 その当時の中学生にとって憧れのアイテムと言えば「ラジカセ」である。今では数千円でステレオのCDラジカセが売られているが、数十年前の中学生にとってのラジカセは、なかなか手には入りにくい高級品として、みなが憧れていた。それもステレオではなかった。

 その憧れの一品を飛沢が持っていた。それを聞きに行くのが目あてで、夏樹は彼の家に足しげく通った。
 そして、ビートルズを筆頭に洋楽にはまり、さまざまな音楽を聴くようになり、その延長として、ステレオ機材にもはまっていった。
 今は、ミニコンポが主流のようだが、その当時はアンプ、レコードプレイヤー、スピーカーなどを全て単品で購入して、アンプを中心に組み合わせて、音楽を聴く。ステレオといえばこのシステムコンポのことを言った。
 買うことなど夢のまた夢。電気店に行ってカタログを集めて、将来のシステムコンポ生活を構築していた。

 のちにレコードプレイヤーを買ったときに
「なんで音も出えへんプレイヤーなんか買うてんねん」
と、夏樹のオヤジはぼやいていた。これ一台で今のミニコンポを二台買っても、お釣りがくるほどの高価な品物だった。

 レンタルレコード店が巷に出始める十数年前の時代、レコードもそんなに多くは持っていなっかた。クラスの誰かがレコードを買えば、又貸しの連鎖が始まり、持ち主に帰ってくるころには、傷だらけとなった。数箇所の針飛びは当たり前となり、時には中に入っているライターと呼ばれる、アーティストの説明書のようなものが紛失していることもしばしばだった。(そういえば、CDにはそんなものはすくないなあ)

 飛沢の親父さんがステレオでテープに録音をした「ザ・ビートルズ 1926~1966」前期ヒット曲集、いわゆる『アカ版』の、一曲目、「ラブ・ミー・ドゥ」が初めて聴いたの「ビートルズ」の曲だった。
 「ビートルズ」の曲はとても新鮮で、英語の歌詞の意味などわかるはずは無いけれど、なんとなくいいなあ、心地よいなあと感じて、はまっていった。
 中学生になって初めて英語を習い、その一学期に聞いた「ビートルズ」の、聞こえてきた言葉を聞こえてきたとおりに、少し習った英語の知識を最大限に活用して、英語のように無茶苦茶に怒鳴り、わめくように、二人で歌っていた。(そう歌っているようにしか聞こえなかった)


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2008.06.21 / Top↑
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